眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【眼鏡堂書店の本棚】『グールド魚類画帖』リチャード・フラナガン

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回ご紹介するのはリチャード・フラナガンの『グールド魚類画帖』です。

グールド魚類画帖/リチャード・フラナガン

作者のリチャード・フラナガンは、1961年オーストラリアのタスマニア州生まれ。

94年のデビュー作『Death of a River Guide』で南オーストラリア州文芸祭文学賞、ヴィクトリアン・プレミア文学賞シェーファー・ペン文学賞、ナショナル・フィクション賞など、オーストラリアの主要文学賞を受賞。2014年、『奥のほそ道』The Narrow Road to the Deep Northでブッカー賞を受賞しています。

今回ご紹介する『グールド魚類画帖』は彼の3作目の作品で、これによりフラナガンは世界的評価を得ました。

眼鏡堂書店が所蔵している単行本は、白水社刊2005年9月30日で第2版。ちなみに同年7月10日が第1版となっています。なお、現在本作は出版社でも在庫切れ&重版の予定なし。文庫化もされておりません(泣)

それはともかく、内容云々の前に特筆しておきたいのが、とにかく版元である白水社の尋常でない気合の入り方。『グールド魚類画帖』は全12章からなり、それぞれの章のあたまに実際にグールドが書いたという魚の絵が色刷りで収録されているだけでなく、作中の文字が2色刷りで表現されています。もちろん、この色分けには意味があってのことだとはいえ、こんなに凝った印刷は、少なくとも眼鏡堂書店はこの本以外には知りません。

ちなみに、その意味は読んでみてのお楽しみ。

冒頭部分にある、

作者は色で書いた。より正確には色で感じたのだと私は思う。

が非常に印象的。

とはいいながら、原書では12章それぞれが違う色のフォントで印刷されているのと比較すると、コスト的な問題なのは承知の上とはいえ、実に残念です。

本作のあらすじは、

時代は19世紀、本書の主人公「ウィリアム・ビューロウ・グールド」はイギリスの救貧院で育ち、アメリカに渡って画家オーデュボンから絵を学ぶ。しかし偽造などの罪で、英植民地タスマニアのサラ島に流刑となる。
 科学者として認められたい島の外科医ランプリエールは、グールドの画才に目をつけ、生物調査として、彼に魚類画を描かせる。ある日、外科医は無惨な死を遂げる。
 グールドは殺害の罪に問われ、海水が満ちてくる残虐な獄に繋がれる。絞首刑の日を待つグールド……その衝撃的な最期とは?
 歴史、伝記、メタフィクションマジックリアリズムポストコロニアルなどの趣向を凝らした、変幻自在の万華鏡。奇怪な夢想と、驚きに満ちた世界が展開される。
 「大傑作」(『タイムズ』)、「『白鯨』の魚版」(『ニューヨーク・タイムズ』)、と世界で絶賛され、今年度、「最高」の呼び声も高い、タスマニアの気鋭による力作長編。4色魚類画12点収録(Amazonより引用)

 

さて。

主人公は、ウィリアム、ビューロゥ・グルード。1801年イギリスに生まれた画家(?)。そう、この作品の主人公は実在の人物です。彼は1827年に7年の流刑判決を受け、タスマニアへ流されます。そして、本作の舞台となるのもタスマニアです。

作者のフラナガンも、元をたどれば流刑者の末裔ということで、自分の故郷に伝わるグールドの話を史実との整合性ではなく、あくまでも物語の語り手として自由に想像の翼を広げた作品です。

そうは言いつつ、流刑地としてのタスマニアで繰り広げられるストーリーは凄惨の一言。白人が、黒人が、原住民が、互いに面白半分に殺し合い、そして流刑者は奴隷同様に扱われ、簡単に死んでいく……。これだけだと救いようのない暗い話に思えるのですが、実際読むとそういうテイストは少なく、むしろ寓話的な幻想譚としてのマジックリアリズム小説に、ジャン・ジュネの『泥棒日記』に代表される悪漢小説(ピカレスクロマン)を加え、雰囲気としては映画『パピヨン』をぶち込んでかき回したかのような、実に不思議な小説です。

流刑地としてのタスマニアを描いた(というかタスマニアが舞台というだけでも十分特異ではあるが)特異な、ポストコロニアル(植民地支配以降)小説。

いろいろ感想を書こうと思ったのですが、なにしろ伝奇、歴史、ピカレスクマジックリアリズムメタフィクションetcといろんなものが手を変え品を変えこの作品中で乱舞するので、作品世界に飲み込まれすぎると頭がくらくらします。眼鏡堂書店も途中、実際にめまいがして、一部の話が頭に入ってきませんでした。

凄惨でありながらも滑稽。笑えるけど残酷、面白いけどどこか悲しい。

さまざまな相反する要素が、まるで寄せては返す波のように迫ってきます。

正直、ずいぶん前に購入しながら積ん読状態で熟成に熟成を重ねていたので、余計に始末が悪い(笑)感じでした。ただただ翻弄された、というに尽きるので、もう少し余韻が覚めたら、再読してみようと思います。というか、一度読了して耐性をつけてから、じっくり読んだ方が初読で見えてこなかったものが見えてくるはず。あと、くれぐれも短期間で一気読みしようなどということは考えないように(笑)。

これは間違いなく、じっくり少しずつ味わうタイプの作品です!

最後に、眼鏡堂書店が印象に残った箇所を引用します。

魚が一匹死ぬたびに、世界からはその生き物の分の愛の量が減るんだろうか? 魚が一匹網にかかって引き揚げられるたび、その分の驚異と美が減った状態で世界は続いていくんだろうか? そして、もしおれたちが、取り上げ、略奪し、殺し続けるなら、その結果、世界から愛と驚嘆と美がどんどん奪われ続けるなら、最後には、なにが残るんだろうか?

 

それにしても、ものすごいものを読んだ、という感想しか出てきません。

読了直後というのはあるにせよ、もう少し、こういう感情の高まりをうまく言語化できるようになりたいものです。

 

最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。