2月18日(日)さくらんぼ東根駅前のコーヒー屋おおもりにて、フェルディナント・フォン・シーラッハの『コリーニ事件』を課題図書とした読書会を開催しました。
季節は二月中旬にもかかわらず、あたりの景色はまるで4月のよう。
でも騙されるな!
まだ2月だぞ。
まだ2月だぞ。(※大切なことなので2回言いました)
というわけで、今回の課題図書は、フェルディナント・フォン・シーラッハの法廷サスペンス小説『コリーニ事件』。主催者含め3名での開催となりました。
作品のあらすじは、
新米弁護士のライネンは、ある殺人犯の国選弁護人になった。だが、その男に殺されたのはライネンの親友の祖父だったと判明する。知らずに引き受けたとはいえ、自分の祖父同然に思っていた人を殺した男を弁護しなければならない――。苦悩するライネンと、被害者遺族の依頼で裁判に臨む辣腕弁護士マッティンガーが法廷で繰り広げる緊迫の攻防戦。そこで明かされた事件の驚くべき背景とは。刑事事件弁護士の著者が描く圧巻の法廷劇、待望の文庫化!(Amazonより引用)
法とは何か?正義とは何か?そして戦後ドイツが抱える闇。戦争犯罪をどう裁くか?といったテーマが絡み合う眼鏡堂書店の読書会史上もっとも重い作品となりました。
参加者からは「黒い表紙は重い話」との名言が誕生しました。
刑事弁護士という著者の経歴からか、文章は客観的で非常にシャープ&ドライ。併せて、登場人物が少ないことも参加者からは好評でした。
また、200ページほどの短さから、
- テーマが重いがシンプル
- 充実感がある
- 短いが濃い作品
などの感想が。
で。
ここから先は、ネタバレを含みます。
さすがにラストは伏せますが、ネタバレが嫌な方は『コリーニ事件』を読み終えてから、改めてどうぞ。
【以下ネタバレ含】
物語の発端は、主人公のライネンが殺人犯コリーニの国選弁護人に任命されたことから始まります。ちなみに、これが彼にとって弁護士としての最初の仕事。
そして、コリーニが殺した相手がハンス・マイヤー。
ライネンにとっては親代わりの恩人で、彼を殺した相手を弁護しなければならない、という葛藤に苦しみます。
一度はこの弁護をやめようかと思うライネンに、マイヤー側の弁護士であるマッティンガーは弁護士としての誠実さを優先しろ、と諭します。結果、ライネンはコリーニの弁護を決意しました。
誰に後ろ指をさされることのない尊敬を一身に集める善人ハンス・マイヤーは、なぜ殺されなくてはならなかったのか?それも相当な憎悪のもとで。
コリーニはそれについて黙して語らず、弁護は暗礁に乗り上げます。
そんな状態が一変するのは、ライネンが凶器のワルサーP38に注目したとき。
このワルサーからまるでカットが切り替わるように、連鎖的かつ映像的に色々なことが収斂していく様子はとてもドラマチックでした。
併せて、参加者の方から、このきっかけとなる弾丸のにおいや銃を手入れする空気感についての指摘がありました。その方が猟師ということもあり、たいへん新鮮な発見と驚きが得られました。
こういうところが、課題図書での読書会の面白さです。
そして明らかになる、ハンス・マイヤーの隠された過去。
ナチス親衛隊の一人として、コリーニの家族を殺害し処刑していたという事実。そのことへの復讐がコリーニの動機でした。ライネンが調べ上げた事実とコリーニの過去から、法廷での証言場面へ戻ってきたときの緊張感!
そして、いよいよ法廷でのライネンVSマッティンガーとなるわけですが、その構図を簡単に整理。
『ライネン』(社会的な正しさ)
ハンス・マイヤーの戦争犯罪を明らかにし、「社会的」にマイヤーを断罪する。
『マッティンガー』(法の正しさ)
あくまでもマイヤーは「この事件において」被害者であり、彼の戦争犯罪は公的に時効である。
マッティンガーはライネンにこう言います。
「わたしは法を信じている。きみは社会を信じている。最後にどちらに軍配が上がるか、見てみようじゃないか」
ライネンの弁論はマッティンガー側に大ダメージを与えるものの、家族を殺した相手への復讐が認められる、わけではなく……。
そこにマイヤーの戦争犯罪を公的に時効とした『ドレーア法』も絡み、結局はマイヤーの戦争犯罪を明らかにこそできたが、罪を問うことはできない結果に。
悪法でも法律である以上従わなければならない。悪法だからと言って法律を無視ししてよい理由にはならない。
このあたりのなんともおさまりの悪い感じは、いろんな意見が出そうです。個人的に、法学部の学生を集めて本作を読んでもらって、法律論からどう裁くべきなのか?というディスカッションも面白そうです。そもそもが、答えの出ない問なわけで。
最終的な裁判の結果がどうなったのかは一応伏せますが、この突き放すようなラストはちょっと意見が分かれるところ。
このモヤモヤする感じを、「霧散する感じ」と言語化してもらったのは、言いえて妙だと思いました。
そのラストの少し前、ライネンとコリーニとの会話、
「(前略)おれの国に、死者は復讐を望まない。望むのは生者だけ、という言葉がある。このところ毎日、収監房のなかでそのことを考えているんだ」
「含蓄のある言葉ですね」ライネンはいった。
「ああ、含蓄のある言葉さ」
このやりとりの「含蓄ある感じ」。これも参加者の方から指摘されたのですが、改めて読むとやはり重苦しいまでの含蓄にあふれています。
あわせて、ライネンが自分の身の回りに戦争にかかわる碑文等があふれていることに気づく箇所。そこにあった碑文に書かれているのが「狂気のみが支配するこの国」という『モアビート・ソネット』の一説。若い世代が思い描くことのできない戦争。それが日本だけでなくドイツもまた、どれほど語られてもなお語り継がれることのない何かであふれかえっているように感じました。
結果的に、ライネンだけでなく、マイヤーの孫であるヨハナもまた重い現実と向き合わなくてはならなくなりました。
「わたし、すべてを背負っていかないといけないかしら?」
「きみはきみにふさわしく生きればいいさ」
眼鏡堂書店はこの一節に、シーラッハ自身が祖父とどのように対峙していくのか?を垣間見た気がします。同時に、すべてのドイツ人がかつての戦争を踏まえたうえでどうすべきかのかも含めて。
あと、余談ですが、あとがきでシーラッハのクラスメイトがシュタウフェンベルクやリッベントロップ、シュペーアやリューニックといったナチの高官や軍人たちの孫が勢ぞろいしていて、「どんな学校だよ!」と三人でツッコミを入れたりもしました。
200ページという短い作品ながら、とにかく重厚。でも文体は非常にシャープでドライなので読みやすい。
ちなみに周辺から攻めることが大好きな眼鏡堂書店は、短編集『犯罪』『刑罰』も紹介しました。これら短編集を読んで、気に入った作品、イマイチだった作品を挙げながらディスカッションしていくのも面白そう。
お初な作家ではあったのですが、思った以上にドハマりしてしまい、楽しみな作家がまた一人増えたという印象。
とても楽しい読書会となりました。
ご参加いただいた皆さま、そして今回会場をお貸しいただきましたコーヒー屋おおもりのマスター&ママさん、大変ありがとうございました。
さて、次回以降の読書会のご案内です。事前のアナウンスと変更があります。
3月は、24日(日)に山形市で行われます一箱古本市@山形への出店&主催者多忙につき読書会はお休みします。
併せて4月も仕事の繁忙期等々が重なるため、読書会は一度白紙とします。
3月4月と予定していました課題図書をすでに読み、参加を検討なさっていた方がありましたら大変申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
5月以降についてはまた時期が迫り次第、アナウンスいたしますので少々お待ちください。
最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、ツイッターのフォローや、#眼鏡堂書店をつけて記事を拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。
【追記1】
フェルディナント・フォン・シーラッハの祖父は、ナチス政権下で全国青少年指導者としてヒトラーユーゲントを指導・育成し、最終的にウィーン大管区指導者となったバルドゥール・フォン・シーラッハ。
彼については、リンク先の動画をどうぞ。
www.youtube.com
【追記2】
本作は2019年に映画化されていますが、ストーリーを見るとずいぶん原作と違う。
昨今話題のアレとは違って大枠で外していないとはいえ、ずいぶん登場人物が削られてる印象。
ja.wikipedia.org