みなさん、こんにちは。眼鏡堂書店です。
眼鏡堂書店の蔵書から、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を勝手に紹介する【眼鏡堂書店の本棚】。
倉橋由美子は1935年高知生まれ、明治大学在学中に今回取り上げる『パルタイ』でデビュー。「第三の新人」以降の新世代作家として、石原慎太郎、開高健、大江健三郎らともに注目されました。代表作としては『聖少女』『スミヤキストQ』『アマノン国往還記』などがあり、女流文学者賞、田村俊子賞、泉鏡花賞を受賞。他には、サン=テグジュペリの『星の王子様』の翻訳や、『大人のための残酷童話』などで広く知られています。
さて。
その倉橋由美子のデビュー作が収録された第一作品集が、この『パルタイ』。
眼鏡堂書店が所蔵している単行本は、文芸春秋社刊72年11月30日で18刷。60年の8月20日に第1刷が発行されています。また、古書店で購入したので、前の持ち主の痕跡として、20ページに線が引かれています。たぶん、ここが前の持ち主がぐっと来た個所なのでしょう。
本作には表題作の『パルタイ』を含めた5本の短編が収録されています。
列記すると、
1)『パルタイ』
2)『非人』
3)『貝のなか』
4)『蛇』
5)『密告』
※目次では6本目として『後記』が記載されていますが、これは文字通りの後記であるため作品に含めていません。
表題作を含めたあらすじ等は次の通りです。
〈革命党〉に所属している〈あなた〉から入党をすすめられ、手続きのための〈経歴書〉を作成し、それが受理されると同時にパルタイから出るための手続きを、またはじめようと決心するまでの経過を、女子学生の目を通して描いた表題作。
ほかに『非人』『蛇』『密告』など。存在そのものに対する羞恥の感情を、明晰な文体で結晶させ、新しい文学的世界の出発を告げた記念すべき処女作品集。(Amazonより引用)
初出が60年ということもあり、時期的に安保運動の真っ盛り。つまり、最も学生運動が激しかった時期でもあります。それはこの作品集にも色濃く表れており、ほぼすべての作品にその影響が見て取れます。
そんな5編の作品の中から、『パルタイ』と『貝の中』について個人的な感想などをつらつらと述べていきたいと思います。
まずは表題作の『パルタイ』から。
”パルタイ”とはドイツ語で党、党派の意味。正確には、Partei für Arbeit, Rechtsstaat, Tierschutz, Elitenförderung und basisdemokratische Initiative(「労働、法治、動物保護、エリートおよび草の根民主主義の推進 の為の党」)のバクロニムなのですが、本作において(というよりは一般的な解釈において)、このパルタイとは暗喩的に用いられてはいるものの、明確に日本共産党を指しています。
作中では「革命党」と表記されている共産党への入党を勧められる、主人公のわたし。
そのために必要な経歴書の作成を求められます。
その経歴書が運ばれる先の〈寮〉があからさまに東大駒場寮なのが、今現在の視点から1周回って新鮮な感じがします。もっとも、当時はもっと露骨な意味での曖昧な表現だったのかもしれませんが。
ともあれ、全共闘や学生運動というものが遠い過去のものとなった現在、我々は過去の記録でしかそれらを知るすべがありません。なので、その当時の空気感などは、推測するほかないのですが、その意味で、この『パルタイ』は個人的に非常に意味のある読書になったと思います。
『パルタイ』を含め収録されたすべての作品に共通しているのは、この学生運動ないし安保闘争に参加する(しようとする)同世代の若者への強烈な違和感です。
当時の学生運動について学生側からの肯定的視線で語られるものはたくさんありますが、この作品のように反対・批判的立場から描かれたものは、(少なくとも眼鏡堂書店にとっては)初めてです。結論から言えば、当時の学生たちのすべてがすべて学生運動や政治活動に肯定的ではなかった、というだけのことなのですが。
作者がそれらの運動に対して、手前勝手な理屈を並べた表面上の理想主義として作中で痛烈に批判しているのがとても印象的でした。特に、その批判が内的な熱さを持ちながらも文章としては非常に冷静で落ち着いているというのも、その印象の一端です。
その政治と運動の間で狂騒する学生たちに対する生理的な憎しみが前面に押し出されているのが、『貝のなか』。同時に、政治的熱狂への冷ややかな視線も感じられます。
この生理的な憎しみというのが、やれ体がクサイだの足がクサイ、男に相手にされないからといって同性愛に目覚めてアタシの体をまさぐるな!キモイんだよ!などという罵詈雑言のオンパレード(笑)眼鏡堂書店としては大変楽しく読ませていただきました(笑)一応言っておくと、ちゃんとした表現ときれいに整った文章で書いてあります。念のため。
作中で、印象に残ったのが下記の文章。
Y・タラコは進歩的知識人の偏愛する月刊誌を購読しており、自分のことをインテリゲンチャと呼び、誤用のめだつ社会科学のタームを使って政治を論じていた。それは噴飯ものだった。
実に深みのある文章です。
こういう人間は当時も、そして今現在もいて、バカでかい声を張り上げる割には絶対に行動しない。そういう輩に対しての痛烈な批判になっているのが心地よく思われます。
こうならないように気をつけねば。
残りの作品のなかでも『非人』や『蛇』は、ちょっと個人的な好みに合いませんでした。特に『蛇』があまりにも抽象性と寓話性が強すぎて頭に入ってこなかったからです。
倉橋由美子作品は初めて読みましたが、大変興味深く感じました。60年代の時代性が非常に強く出ていたので、当初は結構構えて読んでいたのですが、思ったよりもすんなりと作品世界に入っていくことができました。折を見て再読しようと思います。
内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。以上、眼鏡堂書店でした。