5/25(日)に、山形市にあるQ1にて開催された夜の読書会に参加してきました。


夜の読書会では前半と後半に分かれていて、前半は課題図書は少し前に大変話題になった、宇佐美りん『推し、燃ゆ』。後半はそれぞれが紹介したい本を紹介する、という流れになっています。
また、Team部ン活についてもご紹介いただきました。

主催者と参加者の簡単な自己紹介で、主催者と参加者の方が同姓同名であるというミラクルが発生しました。
といわけで、前半の『推し、燃ゆ』です。
第164回の芥川賞を受賞した話題作。アイドルを「推す」女子高生が主人公、という非常に「今」を感じさせる作品。
SNS等で対象とファンとの間が近すぎる時代。それゆえにかつてのような神格化が生まれなくなった時代であるともいえます。眼鏡堂書店的な一番の驚きは、推しがファンを殴って炎上するところ。なぜなら、眼鏡堂書店の推しはしょっちゅうファンを殴ってたな、と。それすら「あいつはロックな男だぜ」で片づけられていた時代がありました。
それはそれとして。
「ファン」や「あこがれ」とも違う「推し」という行為。
病めるときも健やかなるときも推しを推す
という文章が印象に残りました。
この「推し」という行為についても、理解できる・理解できない、が参加者間で分かれました。ちなみに、眼鏡堂書店は後者。
理解できる、という方は、昔バンドの追っかけをやってたからわかる、と前置き、「推し」を発見した時の衝撃を作中の文章を引用しながら、暴力的な衝撃、と表現されていました。
また、理解できない、という方からは、そもそも自分に「推し」という文化がなかったこと、そして、主人公に自分の子供(思春期の子供)を見てしまい、自分はもうその世代の外側にいることに気づいてしまった、とおっしゃられました。
この双方の話をブリッジする形で、ある方からは「ファンと推し」は似て非なるもの、という意見が。「ファン」はまねるものがた、「推し」は推すだけ、という考え方は眼鏡堂書店にはなかった考えだったので、とても新鮮であると同時に、大変腑に落ちました。
最後の場面(投げた綿棒を拾うくだり)を推しへの葬送であるという考えや、普通でいなければならないが普通であってはいけないという推し側の抱える矛盾など、ほうほうと聞き入ることが大変多かったです。
今を象徴する時代をとらえた作品である、ということを全員が認識しつつ、同じく共通するのは「あまり好きではない」や「何度も読み返したくなる作品ではない」(笑)
いずれにせよ、この夜の読書会きっかけで本作を読むことができたのは、眼鏡堂書店にとって大きな収穫でした。大変ありがとうございます。
そして、後半は最近読んだ本の紹介。
それをばずらっと。
そして眼鏡堂書店が紹介したのは、

『推し、燃ゆ』に沿うかたちで、プロレス界に激震が走った内藤哲也の新日本プロレス退団。社長・棚橋弘至が原因では?という憶測からSNSが大炎上。昨年は絶対王者のレインメーカー・オカダカズチカが退団し、来年は逸材・棚橋弘至の引退が発表されている中、まさかの内藤退団。
2010年代のプロレス界をけん引したカリスマの退団は、まさにリアル『推し、燃ゆ』。
一つ決定的に違うのは内藤哲也がとにかく語らない人、ということ。いまだに退団の原因は彼の口から語られないし、これから先どうなるかもまた、語られない。
どんなにファンが考察したところで、「わからないものはわからない」。
プロレスというニッチな話題だったせいか、あまり皆様ピンと来てない様子。
眼鏡堂書店は、スベるのには慣れているので大丈夫です。
そして、内藤哲也といえば個人的に印象に残るこの言葉。
夢を語らなくなった内藤に、ファンが夢を見はじめている。
入場時にリングアナが発した言葉こそ、彼という存在を言い表しているように感じます。まあ、そこまでファンかといえばそうでもないのですが。別に「推し」でもないし。ただ、カッコいいのは間違いない。
というわけで、夜の読書会@Q1でした。
主催者ならびに参加者の皆様、大変ありがとうございました。
最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、ツイッターのフォローや、#眼鏡堂書店 をつけて記事を拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。










