眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【眼鏡堂書店の本棚】『高丘親王航海記』澁澤龍彦

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回紹介するのは、澁澤龍彦の小説『高丘親王航海記』です。

高丘親王航海記/澁澤龍彦

澁澤龍彦昭和3年東京生まれ。小説家のほかに、エッセイスト、フランス文学を中心とした翻訳家としても知られています。なかでも有名なのは、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』の翻訳。この作品が猥褻文書に当たるとして10年にわたる裁判(サド裁判)となりました。その後連作短編集『唐草物語』で泉鏡花賞を、本作『高丘親王航海記』で読売文学賞を受賞。昭和58年に死去。

一般的な文脈では有名でないかもしれませんが、近年だとアニメ『劇場版:文豪ストレイドッグス デッドアップル』で、そのものずばり澁澤龍彦というキャラクターが登場するなど、当時から現在まで非常に根強い人気があります。

あと、何といっても澁澤龍彦当人のルックス。

独特のダンディズムあふれる風貌は多くの人を魅了しています。何より、びっくりするほど老けないことに驚かされます。

澁澤龍彦

さて。

そんな澁澤龍彦の作品のなかから紹介するのは『高丘親王航海記』。

ものがたりのあらすじは、

貞観七(865)年正月、高丘親王は唐の広州から海路天竺へ向った。幼時から父・平城帝の寵姫・藤原薬子に天竺への夢を吹きこまれた親王は、エクゾティシズムの徒と化していたのだ。占城、真臘、魔海を経て一路天竺へ。鳥の下半身をした女、良い夢を食すると芳香を放つ糞をたれる獏、塔ほど高い蟻塚、蜜人、犬頭人の国など、怪奇と幻想の世界を遍歴した親王が、旅に病んで考えたことは…。遺作となった読売文学賞受賞作。
奇跡としか表現のできない大傑作なのだ。今世紀どころか、これまでの日本文学の中でも、これほどの水準に達した物語を私は読んだ記憶がない。
高丘親王の日本から天竺に至る七つの夢幻譚は、読者である自分の垢染みた心の殻を一枚ずつ剥がしていく怖さと喜びに満たしてくれた。(高橋克彦氏の解説より)

Amazonより引用

本作は全7章からなる作品で、あらすじにもあるとおり、高丘親王が天竺を目指す旅のものがたりです。一応、広い意味では時代小説や歴史小説にカテゴライズされるのでしょうが、独特の世界観やエクゾティシズムとが相まって、むしろアジアンファンタジーといった趣を強く感じさせます。

これまでのようにストーリーに触れながら作品を紹介するより、個人的に思うところをつらつらと書き連ねていこうと思います。まあ、作品の内容について触れているブログとかは山ほどあるので、澁澤龍彦を神とあがめる眼鏡堂書店としては、あえて違う方向性で行こうと思います。

「なにがなんだかさっぱりわからない」となるかもしれませんが、『高丘親王航海記』と読んだら少しは理解できようかと思います。しらんけど。

 

ものがたりの主な舞台は東南アジア。日本と西洋との間としての場所、として考えると、ヨーロッパ文学から出発した澁澤が晩年日本文化へ回帰していったことを想起させます。

そんな東南アジアを、天竺目指して旅する親王一行。その旅の中で紡がれる不可思議なものがたり。

作品の柱は二つ。

ひとつは、アナクロニズム。本来的には、時世に逆行、時代錯誤という意味です。字面からわかる通り、あまり肯定的にとらえらえる単語ではないのですが、本作においては非常にユニークなとらえ方をしています。それは、

  • 錯誤そのものを肯定的にとらえること
  • 錯誤そのものを楽しむこと

ふたつめは、アンチボデス。これは対蹠地という意味で、180度逆に位置する場所のことです。本作においては鏡や時間のイメージで語られます。例えば、秋丸が春丸になり、藤原薬子がパタタ姫へとイマジネーションのなかで変幻していくような。

親王の旅は、現実の旅というよりも、彼の中の夢と記憶の物語と言ってよいでしょう。

実際、注意して読むとこの物語の大半が親王の夢であることがわかります。それは肉体は滅びても魂は滅びない、それは語り継がれ読み継がれる物語へと収斂していきます。

それはジュゴンの最後の言葉、

「とても楽しかった。でも、ようやくそれがいえたのは死ぬときだった」

『高丘親王航海記』は澁澤龍彦の遺作であり、闘病中に書かれたことを踏まえると、この文章が彼のたどり着いた作家としての境地のように思えます。夢と幻想が織り成すイメージの数々が、他の澁澤作品や彼の愛した美術作品などを垣間見えてきます。

個人的に『犬狼都市』にような硬質な文章で編まれた初期作品から、この『高丘親王航海記』に至る柔らかな文体への変遷が、澁澤龍彦という作家の旅のようです。

その旅の中で、高丘親王が喉を侵されていくさまが、現実世界の澁澤龍彦咽頭癌に侵されたこととリンクしてくるのが、いちファンとしてはいたたまれない気持ちになりなんとも胸を締め付けられます。

そして最後のくだり。

ふたりはそういって、ようやく気がついたように、だまって親王の骨を拾いはじめた。モダンな親王にふさわしく、プラスチックのように薄くて軽い骨だった。

 

今回はストーリーや作品内容にあまり触れないでつらつらと書いてきましたが、『高丘親王航海記』はそういった澁澤龍彦の文学的足跡をまったく知らなくても、幻想とエロスとがまじりあう非常に優れた面白い作品なので、ぜひ、読んでほしいと思っています。

 

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