眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【眼鏡堂書店の本棚】1000の小説とバックベアード/佐藤友哉

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回紹介するのは、佐藤友哉の『1000の小説とバックベアード』です。

1000の小説とバックベアード佐藤友哉

あらすじの前に、作者の紹介を少し。

佐藤友哉は、日本の小説家。北海道千歳市出身。

ミステリーやホラー、ヤングアダルトの定石から意図的に逸脱したエンターテインメント小説でデビューしたが、近年では純文学をメインに活動しています。

2001年『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』で、第21回メフィスト賞を受賞。

そして、本作『1000の小説とバックベアード』で三島由紀夫賞を受賞しました。

あと、奥さんは『Red』などで知られる作家の島本理生。一度離婚するも、復縁。再び結婚して現在に至ります。とあるテレビ番組に夫婦で出演した際、交際中(新婚当初だったかもしれない)のエピソードでユヤタンが「下の名前で呼んでほしい」と島本さんにお願いし、彼女もその通りにユヤタンを名前で呼んだところ「年下のくせに俺を名前で呼び捨てにするな!」と何故か激ギレ、がっちり奥さんに激怒されたというほほえましいエピソードが記憶に残ります。

 

そんなわけで、『1000の小説とバックベアード』です。

あらすじは、

二十七歳の誕生日に仕事をクビになるのは悲劇だ。僕は四年間勤めた片説家集団を離れ、途方に暮れていた。(片説は特定の依頼人を恢復させるための文章で小説とは異なる。)おまけに解雇された途端、読み書きの能力を失う始末だ。謎めく配川姉妹、地下に広がる異界、全身黒ずくめの男・バックベアード古今東西の物語をめぐるアドヴェンチャーが、ここに始まる。三島由紀夫賞受賞作。(Amazonより引用)

本作で特徴的なのは、何といっても個人に向けられた物語である片説の存在。作中では小説の下に位置づけられていますが、特定の依頼人に向けて作られたオーダーメイドの物語という点で、眼鏡堂的にはアナイス・ニンによる『小鳥たち』という作品のを思い起こさせます。

また、作中での”小説”はある種の畏怖や畏敬を向けられる存在で、

「文章には力がありますからね。まっすぐ歩く人間の人生を壊しかねない、潰しかねない、大きな力がありますからね」

という描写があります。

あらすじにもあるように、本作は小説(文学)をめぐるミステリ的アドベンチャー小説で、個人的に何度読み返しても楽しい小説です。その楽しさがどこからくるのだろう?と考えたのですが、個人的な解答としては「同年代の人間が真摯に愚直に文学と向き合って自分なりの答えを導き出しているから」ということになるでしょうか?

佐藤友哉作品をたくさん読んでいるわけではなく、彼が主戦場にしていた雑誌メフィストメフィスト賞関係の作品も個人的にあまり好きではないので、眼鏡堂が導き出した答えが一般的な解答と大枠で合致しているかどうか定かではありませんが。

ただ、『クリスマス・テロル』や『世界の終わりの終わり』などを読んだ印象からすると、とにかく、「小説ってなんだ?」「文学ってなんだ?」という疑問に真っ向からぶつかっていく、その愚かしいまでのまっすぐさが、眼鏡堂にこの作品を手に取らせる魅力になっているのだと思います。

 

作中に登場する、すべての小説を破壊し再構築しようとする存在、”やみ”。

才能があるのに小説家にならない存在。すべての小説を笑い、すべての小説を嫌い、しかし、すべての小説を愛する二重背反的な存在。

それもある意味で、作者自身の内面的な一部であるような感じも。

『世界の終わりの終わり』や『クリスマス・テロル』で「小説が書けない」ということをひたすら書き続けたわけですが、それが本作にも出てくるあたり、佐藤友哉の作り手としての赤裸々な部分が(それなりのフィクションでオブラートに包まれているにせよ)出てきます。そのあたりが、作者の小説観であり、ひいては作り手から見ての小説観、読者から見ての小説観を表しているように思えました。

たしかに、三島賞の選考では「文学史に対する向かい方が稚拙」「従来の文学に対する素養が乏しい」とバッサリやられ、受賞に至るもその理由が「今彼にあげないと、今後文学賞なんて取れそうにもないから(by筒井康隆)」など、なんかおもちゃにされているような気もしますが、かといってバッサリやられた理由に納得がいくだけに、「ユヤタンがんばって(棒読み)」というエールのひとつも送ってみたくなります。

ユヤタンがんばって(棒読み)」。

 

個人的にですが、この作品で文学史というものに興味がわいた方は、例えば高橋源一郎の『日本文学盛衰史』や『官能小説家』あたりにトライしてみるのもいいかもしれません。また、嵐山光三郎の『文人悪食』や『文人暴食』『追悼の達人』などで、日本の文学史を俯瞰してみるというのもおススメです。

別に学校の授業ではないので覚える必要ないかもしれませんが、知識として近代文学の変遷を頭に入れておくと、なんでユヤタンがこんなに「文学ってなんだ?!小説ってなんだ?!」って頑張ってるのかわかってくるかもしれません。まあ、全くわからないかもしれませんが。

文章は完全にエンタメよりでものすごく読みやすく、ストーリーもジェットコースターみたいに起伏があるので文学ウンヌンを無視しても、ミステリ&アドベンチャーなエンタメ小説として十分楽しめます。あと、ものすごくライトノベル風味。といっても、昨今の異世界転生小説のようなライトノベルではなく、一昔前のハルヒとかイリヤとかキノとかの頃のラノベです。

個人的には、高校生や大学生、特にあんまり小説を読まない人に読んでもらって、どんな感想を抱くか興味があります。

最後に、本作で最も印象に残った箇所を引用して終わろうと思います。

「きみたち二人は何か勘違いしてるみたいだけど、小説なんかじゃ、誰の世界も変えられないんだ。文字しか書かれていない紙束で、他人の頭を動かせると本気で思っているのかい?」

「一ノ瀬さんは僕たちを馬鹿にしてるんですか? それとも、救おうとしてるんですか?」

 沈黙しているのも苦痛になってきたので、僕は口を開いた。

「どっちということはない。ただ、小説がなくてもこの世界が存在していることと、小説を必要としない人間もいることを知ってほしかっただけさ」

 

 

 

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