眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【眼鏡堂書店の本棚】羆嵐/吉村昭

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回ご紹介するのは、皆さんお楽しみの一冊!

吉村昭の『羆嵐』です。

 

羆嵐吉村昭

ヒグマの嵐と書いて羆嵐(くまあらし)!

表紙のデザインからして最高です。

見るにつけ、こういう焼酎とか日本酒がありそうです。

そのくらいインパクトのある表紙。

もっとも、その表紙のインパクトを全く裏切ることのない中身。一言でいえば圧巻。

ちなみに、眼鏡堂書店は読了後に発熱しました。そのくらいの作品です。

 

でもって、あらすじは、

北海道天塩山麓の開拓村を突然恐怖の渦に巻込んだ一頭の羆の出現! 
日本獣害史上最大の惨事は大正4年12月に起った。冬眠の時期を逸した羆が、わずか2日間に6人の男女を殺害したのである。鮮血に染まる雪、羆を潜める闇、人骨を齧る不気味な音……。自然の猛威の前で、なす術のない人間たちと、ただ一人沈着に羆と対決する老練な猟師の姿を浮彫りにする、ドキュメンタリー長編。(Amazonより引用)

 

まあ、ドキュメンタリーといったところであくまで本作は小説。正確には、事実をもとにしたフィクション、といったところ。

とはいえ、そこは徹底して資料を集め、証言を集め、そこから創作に至るスタイルの吉村昭。このリアリズムに基づいた淡々とした筆致が、日本最大の獣害での惨事をまざまざと見せつけます。

 

はっきり言います。

今まで読んだどの小説や本よりもはるかに怖かったです。

 

このテの作品に恐ろしさを感じるのが、文明でもって食物連鎖のその外側にいたはずの人間が、大自然の前に食物連鎖の枠組みに入れられた上に、どこまでも無力な捕食される存在になってしまうところ。

しかも本作で人間を食らうのは、全長約3メートル、体重400キロ近いヒグマ。

そのうえ、人間を完全に餌として認識してるヒグマですよ。

もうね、めっちゃ怖い。

それをまざまざと表すのが、コレ。

 

「少しだ」

 大鎌を手にした男が、眼を血走らせて言った。

「少し?」

 区長が、たずねた。

「おっかあが、少しになっている」

 

三度目の襲撃では、一気に犠牲者が4人。ヒグマが入った家から、骨をかみ砕く音と咀嚼する音が聞こえてくるくだりは、そんじょそこらのホラー小説の及ぶところではありません。

ヒグマを倒そうにも、全長約3メートル、体重400キロ近いヒグマを前に、警官隊や鉄砲を持った男たちは恐怖で身が凍り付き、とてもじゃないけど太刀打ちできません。

そこで呼ばれる熊撃ちの銀四郎。酒癖が悪く鼻つまみ者である一方、熊撃ちの腕前で知られる老練な猟師。

そして始まる、彼とヒグマとの対決……!

 

個人的に印象に残ったのは、仕留めた後の話。

仕留めたヒグマを村に持って帰ってきたときの、

 

 老婆は橇に近づくと、杖をふり上げて羆の体をたたきはじめた。杖は細く、たたき方は弱々しかった。病身でもあるのか老婆の顔は青白く、頬に涙が流れていた。

 

そして、そのヒグマを皆で食べる。

それが亡くなった人への供養の仕来りだから。

そして通夜を通して、区長が銀四郎の胸中を慮って考えを巡らせるくだりなど、命を懸けてヒグマに挑む彼に引き込まれていきました。

 

結の章は、自然と対峙して生きることの難しさや、銀四郎の最後、そしてこの村の現在とが相まって、寂寥とした余韻がずっと続くような気分です。

たしかに、本作においてヒグマは悪役ではあるけれど、ヒグマからみれば自分の縄張りに入ってきた動物(人間)を食べて何が悪い?という感じ。このあたりの飼いならされていない自然の厳しさや禍々しさを、文明社会の中にいる我々は忘れてしまいがち。

そういう意味では野生動物は必ずしも保護すべき弱い対象ではなく、われわれ人間を簡単に仕留めるくらいの存在である、ということも頭に入れておかなければならないなあ。と思いました。

クマの問題は賛否両論あるけれど、自然界に存在するクマはあくまでもクマであって、かわいいかわいいクマさんではない。

お前ら、野生のクマをパディントンかなんかだと思ってんだろ!それが命取りだからな!

マッチングアプリで見たクマ

実際にやって来たクマ

なんといっても、ラストの何とも言えない余韻が、個人的にとてもとても印象に残りました。自然との共存、って言葉では簡単だけど、実際はきれいごとでは片づけられないものの方が多いしねえ……。

まずは何より、すごい本でした。

 

吉村昭作品はこれがお初。他の著作をつらつら見るに、個人的に興味を持ったのは、戦艦陸奥の爆沈事件を扱った『陸奥爆沈』。いずれ、折を見て読もうと思います。

 

 

ただ、若干気になる点がひとつだけ。

銀四郎の若い頃の荒れた様子が、有馬頼義の『貴三郎一代』*1の大宮貴三郎とほぼ一緒、っていうのは何なんだろう?『羆嵐』の初出が77年で、『貴三郎一代』の初出が64年。映画化が翌65年ということを考えると……。まさか、ねえ……。

本当に個人的なこととして、それが非常に違和感として残りました。

作品そのものとは全く関係ないことではありますが。

 

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*1:昭和40年(1965)、増村保造監督により「兵隊やくざ」のタイトルで映画化。のちに映画のヒットを受け小説も改題して「兵隊やくざ」とした。(デジタル大辞林より抜粋引用)