眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【眼鏡堂書店の本棚】信長あるいは戴冠せるアンドロギュヌス/宇月原晴明

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回紹介するのは、3/26に開催されました一箱古本市@山形にて惜しくも売れ残った7冊『神セブン(実質6作品)』から、眼鏡堂書店激推しの一冊『信長あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』です。

信長あるいは戴冠せるアンドロギュヌス宇月原晴明

作者の宇月原晴明は1963年、岡山生まれ。早稲田大学在学中に早稲田文学重松清とともに携わります。重松さんいわく、「彼はこの当時から抜群に(文章が)上手かった。知識の幅もすさまじくて、彼の話の半分も理解できなかった」という旨のことを何かに書いていたことを思い出しました。

その宇月原晴明のデビュー作であり、日本ファンタジーノベルス大賞受賞作品が本作『信長あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』です。

あらすじは、

1930年、ベルリン滞在中のアントナン・アルトーの前に現れた日本人青年は、ローマ皇帝ヘリオガバルスと信長の意外なつながりを彼に説いた。ふたりはともに暗黒の太陽神の申し子である。そして口伝によれば、信長は両性具有であった、と……。ナチ台頭期のベルリンと戦国時代の日本を舞台に、伝承に語られた信長の謎が次々と解き明かされて行く。第11回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。(Amazonより引用)

 

いわゆる”伝奇小説”は、一般的に少々馬鹿にされる傾向にあります。

眼鏡堂の経験だと、司馬遼太郎の作品は熱心に迎え入れられるのに、山田風太郎の作品は失笑されたことがあります。ちなみに紹介した山田風太郎作品は、傑作の誉れも高い『甲賀忍法帖』でした。

 

まあ、それはさておき。

 

伝奇小説のキモとなるのは、歴史的事実を動かすことなく、いかにしてそれを大胆に読み替えるか?というところ。そのリアルとフィクションの混合具合によって作られる新しい観点が作品の魅力。

「次のことを理解しなければなりません。つまり、信じがたきもの、まさしくその信じがたきものこそが事実だとということです」

という一節が作中に出てくるのですが、これこそが伝奇小説の伝奇小説たる所以。

誰もが知っている織田信長の生涯を、両性具有という観点で大胆に読み替え。しかもそこに、ローマの狂帝ヘリオガバルスとの共通項を見いだし、その二つの答え合わせをするのがアントナン・アルトーと総見寺龍彦を名乗る謎の日本人。

作品は大雑把に、織田信長の生涯が語られる信長パートと、その信長の謎を解くアルトーパートの二つのラインで構成されています。

歴史と神話学のミクスチャーであると同時に、神秘学的なアプローチはウンベルト・エーコーを思わせます。知らんけど。他にも、『サロメ』を大胆かつ意図的な資料の読み替え。多分、明確に作品名が提示されないだけでこれは他にもあるはず。この『サロメ』の読み替えを目にしたときは、「信長がサロメで、浅井長政はヨナカーンかよ!」とツッコんだのですが、衒学的正解を発見した際の知的興奮はかなりのものでした。

とにかく衒学趣味がマシマシで情報量が二郎系。そのうえ背油マックスと言わんばかりのこってり耽美風。……ラーメンで例えてみましたがダダ滑りしたのでこの辺でやめときます。

結構久しぶりの再読だったのですが、初読の時と違い、ナチス関連やミトラ教などの異教信仰といった初読の時になかった知識の幅が広がったせいか、その時はほとんど読み取れなかったアルトーパートが実に面白く感じられました。もっとも初読の時もわからないなりに楽しんでいたので、「わかればわかるほど加点方式で楽しめる」ということになると思います。

織田信長という戦国武将の生涯を描くのに、1930年代のパリで始まるというなかなかにぶっ飛んだ仕様なのですが、信長の謎を解くための狂言回しとして登場するのが詩人で劇作家のアントナン・アルトー

なぜ彼なのか?というと、先に書いたヘリオガバルスとの共通点を見いだすために、アルトーの著作である『ヘリオガバルスあるいは戴冠せるアナーキスト』が関係しています。その作品の完成の物語が、本作のメインストーリーの裏側で(薄く)進行するのも今回改めて見つけた部分でした。

とにかく、個人的な発見がやはりアルトー・パート。

1930年代のパリといえばドイツ占領下。アルトー接触してくるドイツ人たちがまさにオールスター(笑)。ざっと挙げても、オットー・シュトラッサー、アルベルト・シュペーアマルティン・ボルマン、そしてラインハルト・ハイドリヒ。もちろん、例のちょび髭も登場。あのちょび髭が付け髭だったことに、眼鏡堂は衝撃を受けました(笑)

ナチスドイツといえばオカルトなわけですが、本作における衒学趣味とオカルトとの相性はベストマッチング。このあたりも、語り手をアルトーにしつつ、ドイツ占領下のパリを舞台とすることでナチスのオカルティズムを(少なくとも)自然に導入するためのニクいチョイスとなっています。

そして、アルトーが完成させた『ヘリオガバルスあるいは戴冠せるアナーキスト』。精神を病んだことで口述筆記による執筆になったのですが、その記述役がアナイス・ニン。これも今回の再読で発見したもので「おおっ」となりました。

 

膨大な知識の洪水が受け入れられるかどうかが、本作を面白いと感じるかどうかの境目だと思います。信長パートにせよアルトーパートにせよ、恐ろしく際立ったキャラクターがバンバン出てくるし、文章も非常に洗練されていて耽美な美しさにあふれています。ただ、宇月原作品は市場に流通している数が少ないので、とにかく見つけたら買ってください。そして、買ったら手放さないこと。いったん手放すと、まず手に入りません。事実、眼鏡堂も『聚楽 太閤の錬金窟』という作品を間違ってて手放してしまい、いまだに後悔しています(´;ω;`)

 

それはともかく。

 

アルトーパートにせよ信長パートにせよ、情報が洪水のように押し寄せてくる部分が多々あるのですが、それでパンクしそうになったら読み流してもOKです。なんとなくその個所の雰囲気を感じるだけでも問題ない感じです。事実、眼鏡堂も初読はそうだったので。ミステリではないので、その情報をキャッチできなかったからといって作品が楽しめなくなるわけではないのでご安心を。ただ、先にも書いたのですが、「わかればわかるほど面白さが増す」作品なので、折を見て読み返すことに向いていると思いますし、今回再読してそのように感じたところでした。

なにより、この宇月原晴明という才能をもっと多くの人に知ってもらいたい、というのが眼鏡堂の本心です。

本作のラスト。突き放すように空いた暗黒の入り口が、これから待ち受けている様々な歴史の暗黒面を暗示するかのようで、ちょっと言語化しづらい余韻を感じたところでした。

 

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