眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【開催のお知らせ】『マーダーボット・ダイアリー』/マーサ・ウェルズ

1冊の本をみんなで読む、課題図書形式の読書会を行っている眼鏡堂書店です。

突然ですが、9月の読書会のお知らせです。

 

今回の課題図書は、マーサ・ウェルズの『マーダーボット・ダイアリー』です。

(今回は上下巻となります)

 

あらすじは、

かつて大量殺人を犯したとされたが、その記憶を消されている人型警備ユニットの“弊機"は、自らの行動を縛る統制モジュールをハッキングして自由になった。しかし、連続ドラマの視聴を密かな趣味としつつも、人間を守るようプログラムされたとおり所有者である保険会社の業務を続けている。ある惑星資源調査隊の警備任務に派遣された弊機は、ミッションに襲いかかる様々な危険に対し、プログラムと契約に従って顧客を守ろうとするが……。ノヴェラ部門でヒューゴー賞ネビュラ賞ローカス賞3冠&2年連続ヒューゴー賞受賞を達成した傑作!

 

カズオ・イシグロの『クララとお日様』を筆頭に、最近よく見るようになったAIが主役のSF小説。そのなかでも、他に類を見ない異色&超個性的なAIが登場する本作を、とにかく難しい話を抜きにして、ただただキャッキャウフフしたい、というのが主催者である眼鏡堂書店の希望です(迫真)。
過去に行った読書会のどれよりもハードルの低い読書会です。

とにかく、弊機と『サンクチュアリームーンの盛衰』の話がみんなとしたいんです!

 

あらすじや眼鏡堂書店の意気込みよりも、『文学ラジオ 空飛び猫たち』での紹介の方が分かりやすいかと思うので、そちらのリンクを貼っておきます。

www.youtube.com

 

 

それでは、読書会の日時や場所等についてです。

 

【日 時】 

9月24日(日)14:00~16:00

※9月21日(木)の17:00を締め切りとします。

 

【場 所】 

さくらんぼ東根駅前 コーヒー屋おおもり

〒999-3720 山形県東根市さくらんぼ駅前3丁目4−1

※お越しの際は、「読書会で来ました」など、お店のマスターかママさんに言ってもらえれば、会場に案内してもらえます。

 

【参加費】
コーヒー屋おおもりでの1品以上の注文をお願いします。


【定 員】
6人(※主催者含めた2名を最少開催人数とし、満たなかった場合は中止とさせていただきます)


【お申し込み方法】

以下のどれかで申し込みください。

1)コメントで参加のメッセージを。

2)openworksnovel@gmail.comに参加のメールを。

3)TwitterのDMやメッセージで。


皆様のご参加をお待ちしております。
拡散希望です。バンバン広めてください。

【眼鏡堂書店の本棚】離婚/色川武大

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

私生活や仕事柄様々なことが立て込んでしまい、ずいぶんとご無沙汰していた印象があるのですが、皆様お変わりないでしょうか?

さて、今回紹介するのは、色川武大直木賞受賞作『離婚』です。

離婚/色川武大

なお、眼鏡堂書店的には短編『永日』を課題図書とした読書会を開催しています。

その模様がコチラ↓↓

glassesbookstore.hatenablog.jp

 

さて。

色川武大、という作家には大きな二面性があります。

本名名義では純文学を執筆。デビュー作の『黒い布』では中央公論新人賞を受賞。伊藤整三島由紀夫武田泰淳の三人が一致して推したのは、三人が選考委員を務めた時期には2回しかなく、それだけでも非常に高い作品性が伺えます。なお、色川以外で三人の推しが一致したのは、深沢七郎の『楢山節考』です。

ただ、この純文学路線は行き詰まりを見せ、空白期間を生み出すことに。もっとも、その間は放蕩無頼の生活の中で、阿佐田哲也の筆名の元、『麻雀放浪記』という大衆文学の傑作を生みだし、娯楽小説のトップランナーとして時代をけん引していました。

色川武大阿佐田哲也、相反しながらも同一の人間が作品を編んできたわけですが、この分裂はある意味意図的かつ徹底的。

興味ある方はぜひ検索してもらいたいのですが、色川武大名義と阿佐田哲也名義では原稿用紙に書かれる筆跡が大きく異なります。それくらい当人が意図的に棲み分けをしていたかと思うと、一種の畏敬すら感じるのです。眼鏡堂書店は。

『黒い布』が61年で、そこから結構な期間を経て『怪しい来客簿』で泉鏡花賞を受賞。その翌年に直木賞を受賞したのが本作となります。

 

帯では、当時選考委員であった水上勉司馬遼太郎の選評があるのですが*1、ほかの選考委員もおおむね好評であり、非常に評価の高い受賞であったことが伺えます。ちなみに、この回では芥川賞花村萬月が受賞しており、今の感覚でとらえると、本作がはたして直木賞にふさわしいか?ということにいささかの疑問があります。

たしかに文体は平易ですらすらと読めるところなどは直木賞的と言えますが、文学的な手触りはむしろ芥川賞的。そういう意味では、少々風変わりな作品といえるかもしれません。

本作は短編集なので、表題作を含めた収録作を一つ一つ取り上げてもよいのですが、それよりも、この一冊全体を眼鏡堂書店がどう感じたか?についてつらつら書いた方がよいような気がするので、しばしそれにお付き合いください。

 

表題作の『離婚』は冒頭で、主人公のわたしとその妻(元・妻といった方がいいかも)との連名による、離婚を知らせる告知の手紙から始まります。

要はこの時点で二人の夫婦関係が破綻したことを示すのですが、面白くも奇妙なのが、こうして夫婦関係が破綻したにもかかわらず、この二人は離れたりくっついたりを繰り返すところ。

作中のわたしは言うまでもなく色川武大当人なのでしょうが、当然のように100%ではなくフィクションを加味してディフォルメされています。それは元・妻の方もそうなのですが、こちらは限りなくディティールが実際の妻である孝子夫人に寄せているのがクセモノ。実際、本作発表後に当人と同一視されてしまい、怒りのあまり孝子夫人は自殺を考えたとか。まあ、気持ちはわかる。

それくらいにこの元・妻が奔放で自己中心的。にもかかわらず、不思議とそこに不快感や苛立ちを感じませんでした。むしろ個人的には微笑ましく映ったほど。愛嬌というか、なんというか。

そのあたりを踏まえた、離婚したとしてもそれは人間関係の終わりを示すものではない、というようなことを感じました。夫婦の数ほど夫婦の形がある、というのは簡単ですが、「いろんな夫婦のかたちがあるのさ」と色川さんが目くばせ的に言っているような感じさえします。

選評でもあった、コミカルでありながらそこにはそこはかとないアイロニーが感じられる、そんな作品でした。

眼鏡堂書店は未婚でたぶんこれから先も結婚することもないとは思いますが、そんな自分の目から見ても、この二人の関係性を多少の奇妙さとともに、人間関係というものの奥の深さに触れたような気がします。

過去に取り上げた『永日』もそうですが、人間関係の機微をどこか突き放したような客観性から、しかし、冷たく突き放すわけでもない温かみのある傍観具合で描く筆致は、なぜだか眼鏡堂書店には心地よく思われるのでした。

多少時代がかったところも見受けられるのですが、まあ、それはそれ。

個人的に、色川武大作品はなんともいえない趣というか味のようなものがあって、だからこそ、頻繁にではなく、多少の間なり期間をおいて、手に取ってみたくなります。

買ってからずいぶん積ん読にしていたのですが、なにとはなしに手に取って読んだのが大変に心地よく、そして楽しむことのできた作品でした。

もっとも、あるべき夫婦のかたちとは?みたいなものを求める人には間違いなく向かない作品ではあるのですが、個人的にはもっと多くの人に読まれてもよい作品だなあ、と思いました。この奇妙な味わいをうまく言語化できないのはもどかしい限り。

ぜひ一読していただけたら、と思いました。

 

さて。

最後にお知らせ等々です。

9/24(日)に、マーサ・ウェルズの『マーダーボット・ダイアリー』を課題図書とした読書会を予定しております。開催日の約2週間ほど前に詳細の告知ページをアップし、募集を開始しますので、今しばらくお待ちください。

 

最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、ツイッターのフォローや、#眼鏡堂書店をつけて記事を拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。

*1:選評についてはコチラ。

prizesworld.com

【開催しました】眼鏡堂書店の読書会『ハーモニー』伊藤計劃

8/20(日)に、さくらんぼ東根駅前のコーヒー屋おおもりにて、読書会を開催しました。主催の眼鏡堂書店含め3名での開催となりました。ご参加いただいた皆様、大変ありがとうございます!

 

まずは自己紹介と「最近あったよかったこと」で肩の力が抜けたところで、さっそく読書会へ。

今回課題図書にしたのは、伊藤計劃の『ハーモニー』。

コロナ禍の緊急事態宣言の記憶も生々しい今、改めて本作をじっくりと読んでみよう、ということで課題図書としたのですが……。

 

事前にお知らせしていたディスカッションのポイントは二つ。

1)(初読か再読かを含めた)読後の感想

2)エピローグは幸福な世界か不幸な世界か?

 

以降、ネタバレを含みます。

 

まずは、1)の読後の感想。

眼鏡堂書店以外は初読とのこと。

眼鏡堂書店は、初読の時はスケール感の大きさや世間の良識を揺さぶってくるところに強く惹かれたのですが、何度か読むにつれ、どんどんと作品世界が狭く感じられました。

このあたりは参加者全員の共通した感想。作品の発表当時、さかんに用いられていた『セカイ系』についていろいろと話しました。

そのなかで、作中用いられる「セカイ」と「世界」の使い分けや、回想に登場する高校時代での思春期特有の不安定さ、大災厄(メイルストロルム)の元ネタと思われる、ポーの『メエルシュトレエムに呑まれて』の指摘など、課題図書形式の読書会ならではの発見がたくさんありました。一つの本をいろんな視点で読むからこその発見、これが集合知というやつに違いありません(※たぶん違います)。

ほかにも、さらっと挟まれた『涼宮ハルヒの憂鬱』ネタや、同じくさらっとディスられる『攻殻機動隊』ネタ(もしかしたら映画『マトリックス』ネタかもしれない)。

前作の『虐殺機関』もそうだったのですが、結構シリアスな場面でサブカルネタからの引用というのが、この作者の作風なのかも。

あと古典的なSF作品からの引用もあり、改めてその元ネタを読んでみようかとも思いました。アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』とか。

 

そして、今回の読書会のメインである2)。

『ハーモニー』のエピローグ、ハーモニープロジェクトによる完全な調和が訪れた世界は、はたして幸福な世界か不幸な世界か?

 

繰り返し何度も読みすぎて脳がバグった主催者はさておき、参加者からは「とにかくもやもやする」。特に門脇さんからは開口一番「もやもやしてまとめきれないから、他の人たちの話を聞きに来た」。

たしかに、このすべてのおいて調和のとれた世界、というのがクセモノで、すべての争いや差別などが完全に消失する一方で、人間の意識も失われてしまう。かといって、意識が消失したから何もできなくなるわけではなく、無意識の下で社会生活は確実に営まれていく。

「一体、これはどういうことなのか?」についてなかなか熱い話が展開しました。

物語の中では、すっと入ってくる感じではあったのですが、よくよく考えてみると、「これはどういうことだろう?」。作中では「葛藤から解放され、すべては自明の下で決定されていく」と描かれているのですが、「つまるところ、日常生活がルーティーンのようになっていくのでは?」という意見がある一方で、「そもそもどういう状態なのか理解が追い付かない」というもやもや感も強くありました。

 

一応、それぞれの答えを並べると、

 

【眼鏡堂書店】

多分幸福な世界。ただし、消去法で不幸な要素が排除された結果、「これって幸福じゃね?」

【阿部さん】

不幸では?ミャハとトァンのふたりが、閉じた世界の中で分かりあっていなくて、幸せになっていないと感じる。だから不幸な世界なのでは?

【門脇さん】

どちらともいえない。そこに自由があるかどうかを基準に考えると決して幸福とは言えない一方で、その自由を感じる主体もない。あまりにももやもやとしすぎて、どちらともいえないし、どちらともいえる気がする。

 

今回、主催者として一番大きな発見は、参加してもらったお二人から、この作品自体が『ハーモニー』の世界が完成したずっと後に読まれる記録である、という視点を披露してもらえたこと。この作品自体が一種の記録で、未来の誰かがこれを読んでいる、というメタ的な視点は、自分の中では全くなかったことなので非常に新鮮な驚きがありました。これもまた、課題図書形式ならでは。

お二人とも大変ありがとうございました。

 

とにかく、今回の課題図書は一筋縄ではないかない作品。作品自体は非常に読みやすく、エンタメ的。その一方で、そこに提示された主題は深めれば深めるほどに、いろいろなことを考えさせられます。作者の伊藤計劃さん自身、がん闘病の末期の非常に時間のない中にも関わらず、こういった作品を作り上げたということに、巻末の対談を含めていろんな感情が沸き上がってきます。

その一方で、時間がなかったことが作品の内容の取捨選択についてもう少しブラッシュアップできたのではないか?と個人的に思う所も少々。

とはいえ、これだけの才能のある方の新作をもう読むことができないのだなあ、という感慨も強く感じました。

 

眼鏡堂書店としては、ミャハとトァンの百合的恋愛小説という解釈が、わりとほかの方も同じように感じていたことにちょっと安心しました。

よかった、突飛な発想じゃなかった(笑)

 

「これをコロナ禍のバイアスがない状態で読めた人がうらやましい」という言葉は、確かになあ、と思いました。逆に、そのバイアスがなかったら、自分はどう感じたのだろうとも思います。今では、そのコロナというバイアスなしではこの作品を語るのも難しい気が。

 

なんにせよ、非常にモヤモヤする作品で(笑)、だからこそこれからも読み続けられる作品なのだろうというのが、今回の読書会での結論めいたものでした。

あと、改めて課題図書形式でみんなで同じ作品を読むことの良さ、一つの作品に対して複数の視点で向き合うこと、の新鮮さを感じることができました。

 

さて、次回は9/24(日)、日時と場所は今回同様コーヒー屋おおもり、14:00~16:00です。課題図書はマーサ・ウェルズの『マーダーボット・ダイアリー』。

非常にライトな&面白いSF作品なので、皆さんのご参加をお待ちしております。

開催日の約2週間前から募集を開始しますので、少々お待ちください。

 

今回ご参加いただきました皆様、そして会場をお貸しいただいたコーヒー屋おおもりのマスター&ママさん、大変ありがとうございました。

以上、眼鏡堂書店でした。

 

追記:あまりに楽しく夢中になりすぎてしまい、写真が全くありません。ごめんなさい。

【お知らせ】8月以降の読書会の予定について

先日、参加しているバンドのライブが終わり、ほっと胸をなでおろしている眼鏡堂書店です。

 

さて。

 

8/20(日)に、伊藤計劃『ハーモニー』を課題図書とした読書会の締め切りが8/17(木)の17:00となっていますので、夏休み中に読まれた方は、ぜひお早目のご参加をお待ちしております。

 

なお、日時や場所等については下記のリンクを参照してください。

glassesbookstore.hatenablog.jp

 

次に、9月以降の読書会&課題図書についてです。

フェイスブックツイッターではお知らせしていたのですが、ブログでは紹介していなかったので改めて。

『9月』 

課題図書『マーダーボット・ダイアリー』マーサ・ウェルズ※上下巻となります

【日時】9/24(日)14:00~16:00

※9/21(木)の17:00を締め切りとします

【場所】さくらんぼ東根駅前 コーヒー屋おおもり

詳細につきましては、開催の約2週間前に『おしらせ』記事にて募集と同時に告知します。

 

『10月』

課題図書『白い薔薇の淵まで』中山可穂

www.amazon.co.jp

 

※日時と場所については決まり次第お知らせします。詳細につきましては、開催の約2週間前に『おしらせ』記事にて募集と同時に告知します。

 

『11月』

課題図書『万延元年のフットボール大江健三郎

 

※日時と場所については決まり次第お知らせします。詳細につきましては、開催の約2週間前に『おしらせ』記事にて募集と同時に告知します。

 

 

 

以上が、今年中の読書会の予定等となります。(12月はどうしようか未定)

参加できないけれど、課題図書を読んでの感想などお聞かせいただければ、とも思います。その際は、お気軽にコメント欄やメールにてお願いします。

併せて、「これを課題図書に!」なども教えてもらえれば、とも思います。課題図書の選書に大いに活用させていただきます。

 

それでは、皆様のお気軽なご参加をお待ちしております。

以上、眼鏡堂書店でした。

【眼鏡堂書店の本棚】三浦老人昔話/岡本綺堂

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回紹介するのは、岡本綺堂の『三浦老人昔話』です。

三浦老人昔話/岡本綺堂


本作は全7巻からなる『岡本綺堂読物集』の第1巻。各巻とも基本的に読本のスタイルをとりつつ趣向を凝らした作品となっていますので、残りはいずれまた。

 

さて。

岡本綺堂といえば代表作は『半七捕物帖』。そちらでは、主人公の私が引退した腕利きの岡っ引きである半七親分に当時の事件を聞き書きする、という形でストーリーの進む大衆的な江戸情緒の色濃い推理小説なわけですが、本作『三浦老人昔話』もそのような形式がとられています。また、最初の話で半七親分が、私と本作の語り手である三浦老人とを引き合わせるなど、一部、スピンオフ的なところも見られます。

とはいえ、そこで語られるのは『半七捕物帖』とは大きく異なる”奇妙な話”。

それも、作品が古いということもあってか、現代の怪談的な奇妙な話というより読本の世界。感覚的には怪談要素を抜いた百物語のような雰囲気も。

いずれにせよ、三浦老人の語る話の舞台となるのは江戸後期から幕末、明治の本当に初頭。歴史の動乱期に生じた不条理劇や、互いに良かれと思ってやったことが結果として最悪の悲劇を巻き起こしてしまった話など、「面白い」や「よかった」「怖かった」のような単純な言葉では総括できない、何とも言えない余韻というかやるせなさのようなものを感じさせます。考えようによっては、それは人情噺のようなものにカテゴライズされるのかもしれませんが、それにしては結末がブラックすぎるというか……。

とはいえ、話の構成から考え抜いたブラックユーモアというより、結果的に生じてしまった一抹の後味の悪さ、というほうが的を射ているような気もします。

 

本作の魅力は多岐に上るのですが、眼鏡堂書店としてあえてひとつ挙げるならば、「語りの妙」に尽きると思います。

実際に、短編すべてのストーリーテラーは三浦老人。ちなみに、三浦老人死後の話もあるのですが、それは老人の語りを私が思い出すというかたちなので実質的に同じです。

まずは、

「ぢやあ、まあお話をしませう……」

という帯に書かれている文言が象徴するこのセリフ。

実録ホラーや本当にあった怖い話のようなベクトルとは全く異なるものの、独特のリアリティラインとノスタルジックな文体とが相まって、物語の世界にぐいぐいと引き込まれていきます。

引用した文章が明確に示すように、本作は旧文旧仮名表記。もっとも、中央公論社のはからいでできるだけ現代的な文章に寄せてありますが。

眼鏡堂書店としては、旧仮名旧文で書かれた文章はそれを遵守すべきという立場。書かれた時のスタイルそのままで読むのが当然のことであり、読みにくいからといって平易な現代仮名遣いに直すのは改竄というべき。かつての文体で感ずることのできるアストモフィアがあるのは事実。それを味わうことも、このテの作品を読む魅力といえると思うのです。この辺の読みやすさを優先する改竄は、落語『目黒の秋刀魚』のオチが物語ってくれていると思うのです。

 

それはそれとして。

 

前時代的な世界観の中で展開する、人間の業や因縁、宿縁が絡み合う哀話など、それは奇譚と呼ぶ他ないような、(いい意味で)なんともカテゴライズしにくいノスタルジックな江戸趣味にあふれた短編が12編。起承転結がはっきりしている、というよりもそれぞれの話が、ラストできちんと語りとしてストンと落ちる感じ。なので、個人的にはどんどんと読み進めていく短編集というよりも、1編ごとにゆっくり&じっくり味わうものだと感じました。なので1日1編で読んでいくのが最高の贅沢といえる気がします。

前述したように、基本的に旧仮名旧文で書かれているのでいささかの読みにくさもあるのですが、中央公論が基本的な部分を変えることなく、ただし、最低限の読みやすさを担保する意味での現代仮名や現代文への改編(?)を行ってくれているので、少なくとも古文の教科書レベルの読みやすさがあります。

これもまた前述したことなのですが、読みやすさを優先するあまり全面的に現代語化してしまうと、少なくとも本作が持っている魅力の大半が失われてしまうでしょう。旧漢字であるからこその魅力なり作品の雰囲気というものがあるわけで。

そうは言いながらも、問題も少々。それは、慣用句的に用いられる表現が、おそらくはこの当時なら常識的なレベルの引用であっても、今現在ではそれが何を意味するのか、一度立ち止まって考えなければならないということ。そもそも、その引用の原典は何なのか、という所までさかのぼらないと、岡本綺堂が何を言いたいのかがわからない、という問題点。現代小説や近代文学なら前後の文脈からなんとなく予想できるのでスルーしがちなことも、まったくわからない引用であればふんわりとした予測すら困難なわけで。

例えば、

眼あきの朝顔*1

粟津の木曽殿*2

なんというか、四書五経を諳んじるではないけれども、多岐にわたる通人ぶりが伺えます。というよりも、当時はこのくらいのことがツーカーで通じたのだと思うと、かなり驚きます。趣味的な分野は確かに現代は多様化しているけれども、そもそもの分母の部分では当時とは比較にならないくらい少なくなった、といえるかもしれません。現代のそれは単に細分化されただけ、と考えるのならば。

 

個人的に好ましく読んだのは、『人参』『落城の譜』『春色梅ごよみ』『刺青の話』『矢がすり』。そのほかの作品に関しても、読み手によって印象が異なると思うので、例えば読書会などで、好きな作品とわからなかった作品とを挙げて、どこが好きか&どこがわからなかったか、を話すのも楽しそう。

いずれにせよ、岡本綺堂というともはや一時代以上前の作家であり、ほとんど手に取られることのない作家です。でも、その作品が古びているからこその魅力というものもあるわけで、今回はそこにフォーカスしてみたところです。新しいことばかりが絶対的な価値ではないわけで。そういう意味でも、眼鏡堂書店は古い、それも今では読まれることのなくなった作品を取り上げていこうかと思います。

 

というわけで、最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、ツイッターのフォローや、#眼鏡堂書店をつけて記事を拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。

*1:朝顔浄瑠璃『生写朝顔話』の登場人物。もとは武家の娘だが、悲恋のために家出して遂には失明し、門付けの瞽女となる。三浦老人は自分の歩き方を盲目で杖をついてゆっくりと歩く瞽女になぞらえ、「目あきの朝顔」と表現している。『生写朝顔話』は江戸末期の人気浄瑠璃であった。

*2:平家物語で有名な木曽義仲の最期の地が粟津。義仲は粟津の深田に馬を乗り入れてはまり込み、進退不自由になったところを鎌倉方に弓で射殺された。本文の「わたし」が雪解けの悪路に難渋したことを聞き、三浦老人が故事を引いて慰めた表現。苦労を誇張して笑いに変え慰める意図がある。

【開催のお知らせ】『ハーモニー』伊藤計劃

山形読書会の10周年記念トークでもお話ししましたが、自由紹介から課題本形式に戻しての眼鏡堂書店の読書会、再スタートです。もっとも、自由紹介型を否定する気もさらさらないので、主催者の気分次第で自由にやっていこうかと思います。

 

そんなわけで、8月の読書会のお知らせです。

今回課題図書としたのは伊藤計劃の『ハーモニー』です。

 

www.amazon.co.jp

あらすじは、

21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、 人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。 医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、 見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア"。 そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した―― それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、 ただひとり死んだはすの少女の影を見る―― 『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。

コロナ禍における緊急事態宣言の記憶も生々しい現在、改めてこの小説をみんなで読んで感想を語ってみることに意味があるのではないか?などと考え、チョイスしてみました。事実、コロナ禍において結構な数の方が本作を読み返し、あるいは手に取ったとのことです。

上記のあらすじより、もっと深い作品紹介を知りたいという方もおられるかと思いますので、ネタバレなしの作品紹介を『文学ラジオ 空飛び猫たち』さんより引用しましたので、お時間ある方はぜひお聞きください。ちなみに、眼鏡堂書店が本作を手に取ったのはこの『空飛び猫たち』さんがきっかけです。

www.youtube.com

 

それでは、読書会の日時や場所等についてです。

 

【日 時】 

8月20日(日)14:00~16:00

※8月17日(木)の17:00を締め切りとします。

 

【場 所】 

さくらんぼ東根駅前 コーヒー屋おおもり

〒999-3720 山形県東根市さくらんぼ駅前3丁目4−1

※お越しの際は、「読書会で来ました」など、お店のマスターかママさんに言ってもらえれば、会場に案内してもらえます。

 

【参加費】
コーヒー屋おおもりでの1品以上の注文をお願いします。


【定 員】
6人(※主催者含めた2名を最少開催人数とし、満たなかった場合は中止とさせていただきます)


【お申し込み方法】

以下のどれかで申し込みください。

1)コメントで参加のメッセージを。

2)openworksnovel@gmail.comに参加のメールを。

3)TwitterのDMやメッセージで。


皆様のご参加をお待ちしております。
拡散希望です。バンバン広めてください。

 

【補 足】

その1

課題図書形式ということで、一体何を聞かれるんだろう(話し合うんだろう)と思う方もいるかと思うので、必ず話し合う事柄について書いておきます。

Q1 読んだ感想を聞かせてください(面白かった、つまらなかった、でも結構です)
※初読の方へ
「初めて読んでみての感想を聞かせてください」

※再読の方
「初読の時と比べて気づいたことや、違った感想などはありましたか?」

Q2 エピローグについて、どのように感じましたか?
幸福な世界だと思う / 不幸な世界だと思う
※その理由を聞かせてください。

 

その2

かつて【眼鏡堂書店の本棚】で『ハーモニー』を紹介した際の記事を貼っておきます。

glassesbookstore.hatenablog.jp

 

その3

今回の課題図書は新版が出ており、そちらがもっとも入手しやすいと思うのですが(少なくとも、眼鏡堂書店がよく行く、そこそこの規模の書店にはすべてありました)、なぜだかAmazonのリンクがうまく埋め込みで入らないので、書影の画像を貼っておきます。購入時の目印としてもらえればよいかと思われます。

ハーモニー/伊藤計劃

 

【眼鏡堂書店の本棚】愛の試み 愛の終わり/福永武彦

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回紹介するのは、福永武彦の『愛の試み 愛の終わり』です。

愛の試み 愛の終わり/福永武彦

作者の福永武彦は1918年福岡県生まれ。

小説家、詩人、仏文学者として知られ、代表作に『風土』『草の花』『忘却の河』。

また加田令太郎名義で推理小説を執筆したことでも知られています。

福永武彦といえば文学的流派としては”第一次戦後派”に分類されると同時に、”マチネ・ポエティック”の一員としても有名です。マチネ・ポエティクとは、太平洋戦争中の1942年に、日本語によるソネットなどの定型押韻詩を試みるために始まった文学運動のこと。近代日本文学への批判、他者としての自己を確立するために外国語を学び、外国語の手法による詩作を行いました。しかし、三好達治に否定的な評価を下されるなど、厳しくも芳しくない結果となりました。

 

それはさておき。

 

福永武彦といえば、堀辰雄の薫陶を受けた作家として知られています。

その所為か、個人的に非常に透明感のある美しい文章を書く作家、という印象。個人的に好みの作家でもあり、一時期熱心にその著作を読んでいました。

そんなわけでこの度久々に再読の運びとなったわけですが、眼鏡堂書店の保有する本はなんと初版が昭和33年。一応昭和46年重版とはいうものの、文章は旧仮名旧漢字。読みにくいといえば読みにくいのですが、全く読めないわけではないのが少々救いです。

 

というわけで、『愛の試み 愛の終わり』。

本作は孤独と愛について書かれたエッセイで、

人は孤独のうちに生まれてくる。恐らくは孤独のうちに死ぬだろう。

という有名な文章から始まります。

本作では、愛と孤独の関係性を「他者としての自己」という視点から描きつつ、その章で語った内容を、また次の章でさらに深めて思考していきます。

愛を人間関係における共感性と定義し、愛の効果を、

1)相手の魂を所有したいという熱狂

2)事故の孤独を認識する理知

と分析し、愛の効果は1)と2)の公平にかかっている、と結論付けています。

 

人は愛があってもなお孤独であるし、愛がある故に一層孤独なこともある。しかし最も恐るべきなのは、愛のない孤独でありそれは一つの沙漠というにすぎぬ。

 

引用した文章でわかるように、自分が向かう問いに対して文学者としての誠実さがひしひしと感じられます。

愛と孤独の関係性を論じつつも、その背後にあるもっと大きな命題は「人生をどう生きるか?」。このあたりに、第一次戦後派の苦悩と思考、自身の人生への問いかけ、そして”より深く考える”ということを眼鏡堂書店は感じました。そのあたりが、福永が師としての堀辰雄から受け継いだものなのかもしれません。

なにより、この潔癖なまでの誠実さと深い思考を、面倒くさい、と考えるか、含蓄あるもの、ととらえるかで評価がわかれるような気がします。安易な恋愛論とは一線を画すだけに、ライトなものが求められる現代でもっと読まれてほしいと思いつつも、果たしてその需要がどのくらいあるのか?というような疑問もわいてきます。

あと、個人的な意見として、本作を既婚者が読んだらどのような感想を持つのか、という点にも興味があります。新婚の夫婦、子供がいる夫婦、あるいは子育てが終わった夫婦……。いろんな時期の既婚者の方々が、本作を読んだとしてどういう感想を持つのか、そしてそれは男女で同じものなのか?それとも違うものなのか?個人的にとても興味のあるところです。人によって感じ方が異なるだろう、福永武彦の導き出した結論について是非が生じるだろうと思うと、本作についていろいろとディスカッションできる要素があるため、もしかしたら読書会などに向いているのかもしれません。

ちなみに、文庫版は全面的に現代仮名に直されているので、当然ですが抜群に読みやすいです。眼鏡堂書店としては、旧漢字旧仮名で足踏みをさせられることが、書かれたものへの考えを深めるちょうどいいブレーキになったので、もしかしたら読みやすいからといってスラスラ読み進めるのは、作品の良さを欠くものになるのかも?杞憂に過ぎないとは思いますが。

 

最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、ツイッターのフォローや、#眼鏡堂書店をつけて記事を拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。

 

【追記】

福永武彦の息子は、芥川賞作家で選考委員も務めた池澤夏樹。そして池澤夏樹の娘が、声優の池澤春菜。生前の福永武彦と会うことはかなわなかったものの、その著作を通して初めて祖父との間の触れ合いを持ったとのこと。

福永武彦の作品を、孫がどのようにとらえ、感じたかはリンク先の本に書いてあります。ご興味のある方はどうぞ。