眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【開催しました】眼鏡堂書店の読書会『ハーモニー』伊藤計劃

8/20(日)に、さくらんぼ東根駅前のコーヒー屋おおもりにて、読書会を開催しました。主催の眼鏡堂書店含め3名での開催となりました。ご参加いただいた皆様、大変ありがとうございます!

 

まずは自己紹介と「最近あったよかったこと」で肩の力が抜けたところで、さっそく読書会へ。

今回課題図書にしたのは、伊藤計劃の『ハーモニー』。

コロナ禍の緊急事態宣言の記憶も生々しい今、改めて本作をじっくりと読んでみよう、ということで課題図書としたのですが……。

 

事前にお知らせしていたディスカッションのポイントは二つ。

1)(初読か再読かを含めた)読後の感想

2)エピローグは幸福な世界か不幸な世界か?

 

以降、ネタバレを含みます。

 

まずは、1)の読後の感想。

眼鏡堂書店以外は初読とのこと。

眼鏡堂書店は、初読の時はスケール感の大きさや世間の良識を揺さぶってくるところに強く惹かれたのですが、何度か読むにつれ、どんどんと作品世界が狭く感じられました。

このあたりは参加者全員の共通した感想。作品の発表当時、さかんに用いられていた『セカイ系』についていろいろと話しました。

そのなかで、作中用いられる「セカイ」と「世界」の使い分けや、回想に登場する高校時代での思春期特有の不安定さ、大災厄(メイルストロルム)の元ネタと思われる、ポーの『メエルシュトレエムに呑まれて』の指摘など、課題図書形式の読書会ならではの発見がたくさんありました。一つの本をいろんな視点で読むからこその発見、これが集合知というやつに違いありません(※たぶん違います)。

ほかにも、さらっと挟まれた『涼宮ハルヒの憂鬱』ネタや、同じくさらっとディスられる『攻殻機動隊』ネタ(もしかしたら映画『マトリックス』ネタかもしれない)。

前作の『虐殺機関』もそうだったのですが、結構シリアスな場面でサブカルネタからの引用というのが、この作者の作風なのかも。

あと古典的なSF作品からの引用もあり、改めてその元ネタを読んでみようかとも思いました。アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』とか。

 

そして、今回の読書会のメインである2)。

『ハーモニー』のエピローグ、ハーモニープロジェクトによる完全な調和が訪れた世界は、はたして幸福な世界か不幸な世界か?

 

繰り返し何度も読みすぎて脳がバグった主催者はさておき、参加者からは「とにかくもやもやする」。特に門脇さんからは開口一番「もやもやしてまとめきれないから、他の人たちの話を聞きに来た」。

たしかに、このすべてのおいて調和のとれた世界、というのがクセモノで、すべての争いや差別などが完全に消失する一方で、人間の意識も失われてしまう。かといって、意識が消失したから何もできなくなるわけではなく、無意識の下で社会生活は確実に営まれていく。

「一体、これはどういうことなのか?」についてなかなか熱い話が展開しました。

物語の中では、すっと入ってくる感じではあったのですが、よくよく考えてみると、「これはどういうことだろう?」。作中では「葛藤から解放され、すべては自明の下で決定されていく」と描かれているのですが、「つまるところ、日常生活がルーティーンのようになっていくのでは?」という意見がある一方で、「そもそもどういう状態なのか理解が追い付かない」というもやもや感も強くありました。

 

一応、それぞれの答えを並べると、

 

【眼鏡堂書店】

多分幸福な世界。ただし、消去法で不幸な要素が排除された結果、「これって幸福じゃね?」

【阿部さん】

不幸では?ミャハとトァンのふたりが、閉じた世界の中で分かりあっていなくて、幸せになっていないと感じる。だから不幸な世界なのでは?

【門脇さん】

どちらともいえない。そこに自由があるかどうかを基準に考えると決して幸福とは言えない一方で、その自由を感じる主体もない。あまりにももやもやとしすぎて、どちらともいえないし、どちらともいえる気がする。

 

今回、主催者として一番大きな発見は、参加してもらったお二人から、この作品自体が『ハーモニー』の世界が完成したずっと後に読まれる記録である、という視点を披露してもらえたこと。この作品自体が一種の記録で、未来の誰かがこれを読んでいる、というメタ的な視点は、自分の中では全くなかったことなので非常に新鮮な驚きがありました。これもまた、課題図書形式ならでは。

お二人とも大変ありがとうございました。

 

とにかく、今回の課題図書は一筋縄ではないかない作品。作品自体は非常に読みやすく、エンタメ的。その一方で、そこに提示された主題は深めれば深めるほどに、いろいろなことを考えさせられます。作者の伊藤計劃さん自身、がん闘病の末期の非常に時間のない中にも関わらず、こういった作品を作り上げたということに、巻末の対談を含めていろんな感情が沸き上がってきます。

その一方で、時間がなかったことが作品の内容の取捨選択についてもう少しブラッシュアップできたのではないか?と個人的に思う所も少々。

とはいえ、これだけの才能のある方の新作をもう読むことができないのだなあ、という感慨も強く感じました。

 

眼鏡堂書店としては、ミャハとトァンの百合的恋愛小説という解釈が、わりとほかの方も同じように感じていたことにちょっと安心しました。

よかった、突飛な発想じゃなかった(笑)

 

「これをコロナ禍のバイアスがない状態で読めた人がうらやましい」という言葉は、確かになあ、と思いました。逆に、そのバイアスがなかったら、自分はどう感じたのだろうとも思います。今では、そのコロナというバイアスなしではこの作品を語るのも難しい気が。

 

なんにせよ、非常にモヤモヤする作品で(笑)、だからこそこれからも読み続けられる作品なのだろうというのが、今回の読書会での結論めいたものでした。

あと、改めて課題図書形式でみんなで同じ作品を読むことの良さ、一つの作品に対して複数の視点で向き合うこと、の新鮮さを感じることができました。

 

さて、次回は9/24(日)、日時と場所は今回同様コーヒー屋おおもり、14:00~16:00です。課題図書はマーサ・ウェルズの『マーダーボット・ダイアリー』。

非常にライトな&面白いSF作品なので、皆さんのご参加をお待ちしております。

開催日の約2週間前から募集を開始しますので、少々お待ちください。

 

今回ご参加いただきました皆様、そして会場をお貸しいただいたコーヒー屋おおもりのマスター&ママさん、大変ありがとうございました。

以上、眼鏡堂書店でした。

 

追記:あまりに楽しく夢中になりすぎてしまい、写真が全くありません。ごめんなさい。