眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【眼鏡堂書店の本棚】『ハーモニー』伊藤計劃

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回ご紹介するのは伊藤計劃の『ハーモニー』です。

ハーモニー/伊藤計劃

いろいろ説明するまえに、まずは書いておかなければならないことが。

眼鏡堂書店の所蔵する文庫は、早川書房刊の新版で2022年8月25日の27版。新版の初版が2014年の8月15日であるのを考えると驚異的な売れ方です。なお、ウィキペディア先生によると、新版の初版は2014年8月8日とのこと。

無論、この前に元のバージョン(真っ白の表紙の文庫版)と単行本があるので、映画化(2015年11月13日)の後押しがあったにせよ、どんだけ売れたんだ?と開いた口がふさがりません。ま、ふさぎますが。

 

いつもニッチな本ばかり紹介していますが、今回は一味違います。

今回取り上げる『ハーモニー』は滅茶苦茶売れた本です(力説)

 

この世界にあふれるやさしさと愛情が、わたしを殺す

『ハーモニー』の著者は、伊藤計劃。1974年10月14日東京生まれ。デビュー作『虐殺器官』で有望な若手SF作家として注目を浴びるも、病に倒れ、この『ハーモニー』が遺作となりました。享年34歳。本当に、惜しい才能をなくしたものです。

特に、言語や思考、精神や自我、といったものへの鋭くも独特の論理性を伴った考察は非常に興味深く、もっともっと長生きしていたのなら、これらを追求した作品群によってノーベル賞も狙えるレベルに到達したんじゃないか?と本気で思いました。返す返す、惜しい才能をなくしたものです。

それは受賞歴にも表れていて、『ハーモニー』に限っても、第40回星雲賞(日本長編部門)および第30回日本SF大賞受賞。「ベストSF2009」国内篇第1位、とかなりの高評価。残念なことを(あえて)挙げるとすれば、その高評価がSFという枠組みの外に出なかったことくらい。

だからこそ、もっと読まれてほしいと思って、今回こうして紹介してみた次第。

というわけで、『ハーモニー』のあらすじがこちら。

21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、 人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。 医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、 見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア"。 そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した―― それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、 ただひとり死んだはずの少女の影を見る―― 『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。(Amazonより引用)

Amazonから引用していてわかったのですが、kindleでも読めるんですね。紙媒体で読めばミャハ、電子媒体で読めばトァンの気分になれます。あと、kindleはまさにボルヘスですね!(※本作を読むと意味が多少わかります)

 

この『ハーモニー』、個人的に今年一番刺さった作品でした。なので、方々の読書会で紹介してきました。そのたびに結構な興味関心を抱いてもらえたようです。めでたしめでたし。

高度に発展した医療技術を背景にした福祉国家が世界を運営していく近未来。Watch meというナノマシンの医療デバイスによって、人類は事故死と老衰以外の死から解放された近未来。病気は根絶され、福祉国家の名の下で慈愛とやさしさがこの世界にはあふれかえっている。併せて、高度な情報化社会は拡張現実(オーグ)によってすべてがタグ付けされている。個人的に、このオーグを使った遠隔会議システムが完全にZOOMで、作者の慧眼にはたとひざを打ったところ。

やさしさにあふれ、互いが互いを思いやり、寄り添いあい、支えあうことが当然となった社会。この福祉世界の中で、私の命や体は誰のものなのか?という問い。共感しあうこの調和的な社会への違和感。

作品自体はバリバリのエンタメ作品であるにもかかわらず、要所要所で突きつけられる問いは純文学的、というかむしろ哲学的。それがこのSF世界と相まって、読みながら考えさせられる深みを生み出しています。むしろ、コロナ禍の今現在であるからこそ、こういう医療SFが真に迫ったものとして受け止められるのかもしれません。

 

印象に残った個所をいくつか。

 

セカイはどんどん健全で健康で平和で美しくなって、その善意はもはやとどまるところを知らない。

 

「わたしはオトナになりたくない。このカラダはわたしのもの。わたしはわたし自身の人生を生きたいの。互いに思いやり慈しむ空気に絞め殺されるのを待つんじゃなくてね」

善意や幸福、すべてが満たされているはずの楽園的世界に異を唱えるミャハはまるでメフィストフェレスのよう。でも、そこにあるのは誘惑者ではなく、確固とした意志を持った存在。自らの人生を自らの意思を以て生きる、という単純なことさえ、この世界では困難なものになっています。

個人的に鮮烈な印象を受けたのは、孤独になる権利さえここには存在しない、というような一文。お互いに支えあい、助け合う中で、孤独でいることすら罪悪のように扱われる。現実の世の中も、この心地よさと愛情にあふれた生ぬるい地獄に向かいつつあるように眼鏡堂書店には思われるのです。

その中での、共感性というものへの言葉はとても心に刺さりました。

 

そうやって、誰彼構わず他人の死に罪悪感なんて持っちゃいけないんだよ。

 

ほとんど関係のなかった他人の死すらも、自分なら止められたはず、なんで自分には止められなかったのかって理不尽にも思わせる、忌々しい公共心ってやつなんだよ。

上記の引用で、真っ先に思い浮かんだ作品が天童荒太の『悼む人』。眼鏡堂書店は未読なのですが、あらすじは何となく知っていて、そこから受ける強烈な気持ち悪さと違和感に襲われたことがあります。例えば、フェイスブックとかで有名人や著名人の訃報に接するたびに「謹んでご冥福をお祈りします」と書き込める無神経な共感性。

そういうものへの明確なNOが垣間見えるだけでも、この作品が今読まれるべき価値を有するものだと思うのです。

物語のエピローグとなる部分では、ハーモニー・プログラムによって、人間の意識が消滅した世界が完成します。このエンディングをどうとらえるか?が人によって違うところであり、この作品について語り合いたい部分でもあります。単純なディストピアとは違う、人類から意識が消滅しても、それは個としての意識が消失するだけで、社会という全体は変わることなく維持される。個としての意識がぶつかり合うことによって生ずるすべての争いはこの世界から消滅します。「あなた」は「わたし」であり、その逆もまた然り。すべてが同一に調和された世界をどのようにとらえるか、という問いかけがこの『ハーモニー』という作品で、読者に対して投げかけられる最大の、そして最後の問いかけになります。この問いにどう答えるか、どう思うのか、人の数だけ答えがあるような気がするので、そういった意味では、おそらく古びることのない作品として読み継がれていくような気がします。

眼鏡堂書店は、人類がホモサピエンスから進化の階段を一つ上り、新たなる段階へと進化した、と感じました。旧態的な意識を捨て去った新人類の誕生、あわせて、「あなた」が「わたし」となる、という意味合いにおいてはトァンとミャハとの愛の結実のようにも思えました。彼女たちの出会いからその最後の瞬間に至るまでの道のりが、一つの無自覚な恋愛の道のりであるかのような。そしてそれを知った時に、調和的世界が完成する、というような。

 

いやはや、非常に深みのある、それでいてエンターテイメントとしても十分以上に面白い、実によい作品でした。SFということで手を伸ばしかねている人もいるでしょうが、SF初心者にもうってつけの読みやすさです。ぜひ、もっと多くの人が手に取り、読んでもらえたらいいと思いました。

 

最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。