眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。
今回紹介するのは、メキシコの作家グアダルーペ・ネッテルの短編集『赤い魚の夫婦』です。
著者のグアダルーペ・ネッテルは、1973年メキシコシティ生まれ。本作『赤い魚の夫婦』で2013年リベラ・デル・ドゥエロ国際短編小説賞を受賞。翌2014年に発表した『冬のあとで』でエラルデ小説賞を受賞した。現代メキシコを代表する作家です。
海外文学に疎い眼鏡堂書店ですが、日ごろよく聞いているポッドキャストラジオ『文学ラジオ 空飛び猫たち』で取り上げられているのを聞いて入手した次第。また、作家の小川洋子さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『パナソニック メロディアス・ライブラリー』でも本書が取り上げられていたようです。
さて。
『赤い魚の夫婦』は、
- 赤い魚の夫婦
- ゴミ箱の中の戦争
- 牝猫
- 菌類
- 北京の蛇
の5本の短編を収録した短編小説集です。
それぞれの短編は、登場人物とともに作中に登場する生き物とが対比的に描かれていて、その構成の見事さに感心します。また、文章も非常に読みやすく、海外文学の入り口として高校生や大学生(個人的には大学生かな?)に、ぜひ手に取ってほしいと思ったところ。
なお、『空飛び猫たち』では、ダイチさんが『菌類』を。ミエさんが『牝猫』(と『北京の蛇』)を紹介していました。なので同じものを紹介しても、『空飛び猫たち』以上のことができると思えないので、素直に&一番深く引き込まれた、表題作の『赤い魚の夫婦』を取り上げたいと思います。
ちなみに、収録作に関する眼鏡堂書店の評価(というか感触)は以下の通り。
(※◎、〇、△の順で、高評価~ちょっと合わなかった、としています)
- 赤い魚の夫婦 ◎
- ゴミ箱の中の戦争 △
- 牝猫 〇
- 菌類 〇
- 北京の蛇 △
赤い魚は幸福な結婚生活の夢を見るか?
主人公の”わたし”は既婚の女性。そして、『赤い魚の夫婦』はこんな書き出しで始まります。
昨日の午後、わたしたちの最後の赤い魚、オブローモフが死んだ。ここ数日その兆しはあった。金魚鉢の中でほとんど動かず、えさをとりにくるときも水槽にさしこむ日差しを追いかけるときも、前ほど元気にとびはねなかった。
ここだけ見ると、その魚オブローモフだどれだけ大事にされていたか、その日々を回想する話のようですが、もう少し読み進めると、こんな文章が現れます。
彼のほうは、夫のヴァンサンとわたしが彼を見るよりもずっとじっくり冷静に、こちらを観察する時間があったはずだ。そして彼なりに、わたしたちのことを憐れんでいたに違いない。魚を含め、共に暮らす生き物から、人は多くのことを学ぶ。彼らはわたしたちが直視できない水面下の感情や行動を映しだす鏡のようだ。
観察者としての魚。その目が見ていたのは、結婚生活の始まりと終わりでした。
そもそも、この魚は私が妊娠した時に贈られたプレゼントでした。もっとも、ここで書いたオブローモフではありませんが。
当初、その魚は2匹いて、雄雌のつがいでした。このあたりがプレゼントっぽくて理解できるのですが、その一方で、生き物を贈り物にするっていうのはどうだろう?という違和感も覚えます。
まあ、それはそれとして。
わたしは妊娠を機に、務めていた弁護士事務所に産休をとり、出産に備えます。
退職したわけでもなく、出産のためにそなえる十分な、そして自由な時間があるにもかかわらず、それが十分すぎて、そして自由すぎて、わたしは将来への不安を抱くようになります。
妊娠が進むにつれての精神的な不安定は、少しづつ夫との間に亀裂が生じていきます。
それを暗に物語るように、飼っていた魚(メス)の腹に縞が現れるようになります。原因はストレスによるもので、この辺が”夫婦とは他人同士が一つ屋根の下で暮らすこと”への暗喩めいていて、グッときました。
「こんなにりっぱな水槽に入れているのに、どうして仲良くできないのかしら」
まさに、夫婦生活そのもの。きれいごとではない暮らしのありようが、さらっとしたセリフの中に登場して、これはうまいなあ、と思ったところです。
子どもが生まれても、夫婦のすれ違いはさらに大きなものになっていきます。この辺でのヴァンサンの態度なり行動が、『パナソニック メロディアス・ライブラリー』での”究極のダメ夫”と言わしめるわけですが、個人的にはそう思えませんでした。
たしかに、これはダメだろ、という点があるのは否定しませんが、その一方で、わたしの方も”わかるでしょ!察してよ!”が強すぎて、お互いの角が不必要にぶつかり合っている感じがしました。
育児と子育てに奔走するわたしと同様に、ヴァンサンもまた初めての父としての在り方に戸惑い、そして自信を失いそうになりながら、子供と対します。この弱音のはけない追い込まれ方で、
誰でもそうなるようだが、ヴァンサンは自分はだめな父親なのではという不安をかかえていた。
というのを感じながら、手を差し伸べない(ヴァンサンが拒んだとはいえ)わたしもどうなのか?と。結局のところ、夫婦の関係は修復することなく、最後に飼ったオブローモフの死を契機に分かれるに至ります。
それが最後に、
わたしたちは無理やり結婚させられたわけではなかった。家族の水槽から勝手にすくいあげられたわえでも、同意なくその家に押しこめられたわででもない。自分でそれを選び、なんらかの理由で、少なくともそのときはそれが一番だと思ったのだ。別れる理由ははるかに曖昧だったが、くつがえせないのは同じだった。
と結ばれます。このへんが全くの他人同士がひとつ屋根の下で暮らし続けるということがきれいごとでないことを表していて、読後にいろいろなことを考えさせられました。
以上が、『赤い魚の夫婦』の感想などなどです。
とにかく、モチーフの生き物と物語の構成のからませ方が抜群で、なおかつ文章そのものもとても読みやすい。メキシコの作家ということで、何かメキシコらしさがあるかというと、別にそんなところは特になく。まあ、『ゴミ箱の中の戦争』がメキシコらしいといえばメキシコらしいかも。
ともすればいくらでもウェットに書こうと思えばいくらでもウェットにかける題材に対し、非常にカラッとした手触りの乾き具合の、平易で整った文章で綴られます。
全編、きちんとした構成のもとで話が作られていながら、読後の余韻も感じさせる。帯にも書いてありますが、とんでもない才能、としか言いようがありません。
冒頭にも書いたのですが、海外文学の入り口として、高校生や大学生、海外文学ビギナーにうってつけの作品だと思いました。
どの作品も面白かったし、興味深かったです。
最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、ツイッターをフォロー、拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。