眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【眼鏡堂書店の本棚】恋するアダム/イアン・マキューアン

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回ご紹介するのは、2/19に開催した読書会で紹介した本から、イアン・マキューアンの『恋するアダム』を紹介します。

恋するアダム/イアン・マキューアン

作品のあらすじは、

独身男のチャーリーは、母親の遺産を使って最新型アンドロイドを購入した。名はアダム。どんな問題も瞬時に最適解を出すAI能力を利用して、チャーリーは上階に住む女子学生ミランダと恋仲になることに成功した。だが彼女は重大な過去を秘めており、アダムは彼女に恋心を抱きはじめる。人工知能時代の生命倫理を描く意欲作!(Google Booksより引用)

 

『恋するアダム』の舞台となるのは1982年のイギリスです。

しかし、現実の82年とは異なり、コンピューター技術が現実よりもはるかに進んでいます。その理由は、天才科学者であり数学者がアラン・チューリングが生きていることにあります。映画『イミテーションゲーム』において、ドイツ軍の暗号システムである「エニグマ」を解読したことで知られ、史実では54年に自殺する彼ですが、この作品では健在。「人工知能は心を持つことができるのか?」という彼の哲学的な問いが現実となったのが本作の世界です。

ほかにも、現実との相違点をいくつか。

ひとつは、フォークランド紛争でイギリスがアルゼンチンに敗北したこと。

ふたつめは、70年に解散したビートルズが再結成したこと。『空飛び猫たち』では全く触れられていなくてちょっとびっくりしたのですが、『恋するアダム』の82年ではジョン・レノンがオズワルドに殺されることなく生きているのですよ!ただ、この再結成ビートルズは批評家たちに「今更、愛こそはすべて(All You Need Is Love)でもないだろう」と酷評されているのが、個人的にちょっとツボでした。

 

さて。

主人公のチャーリーと、彼女のミランダ。そしてアンドロイドのアダム。

この3人が織り成す三角関係のドタバタラブコメ&ブラックユーモアSFみたいなのを想像して読んでいたのですが、たしかに、その要素があるのは事実。

ミランダに恋したアダムを見て「やべえ」と思ったチャーリーが、アダムの電源を切ろうとすると指を折られるのは、結構笑いました。

ただ、そういう要素よりも個人的にはアダムとチャーリーそれぞれが、人に恋すること、あるいは、人を愛すること、についての哲学的な、根源的な、情緒的な問いに対して答えを模索すること、それを強く感じさせられました。

例えば、

けれどもわたしは、顔には出さないようにしていたけれど、もっと多くを欲していた。彼女がわたしに心をひらいて、わたしを欲しがり、わたしを必要とし、わたしを渇望して、わたしのなかに喜びを見いだしてほしかった。

けれども、いまでは、恋愛のクライマックスは肉体的な知識の向こう側に、あらゆる複雑さが待ち受けている向こう側にある。

心には生きていくためのいくつかの原則を与えてやる必要がある。

 

そのあたりの印象が、本作の原題Machnes Like Me,And People Like You(私に似た機械とあなたに似た人々)につながるのではないかと思いました。

中盤以降で出てくるミランダの秘密をめぐるやり取りや、アダムとミランダとの関係など、話が進むにつれて当初のようなラブコメ色から一転。非常に深い文学世界に引き込まれていきました。

また、アラン・チューリングの登場は単にアダムというアンドロイドを登場させるためのギミックに過ぎないのかと思いきや、この彼の存在が終盤非常に大きな意味をもってくるのも大変感心しました。

アダムをはじめとした人工知能のアンドロイドたちが次々に自殺していく問題について、眼鏡堂は彼らアンドロイドの周りに渦巻く現実の世界は、常に正確であろうとするアンドロイドにとってあまりにも不条理で不合理すぎるため、その齟齬から自殺というかたちで欠落していくのではなかろうかと思いました。あくまで、個人的な見解ですが。

その一方でちょっと残念に思ったのは、アダムがミランダに愛のあかしとして贈る俳句について。アダムいわく、「文学は人間に欠落や不備を表現してきたが、俳句はそうではなく、この短くまとめられた詩は最も尊い文学形態」なのだそうで、アダムは俳句を作りミランダに贈ります。もっとも、それはチャーリーに言わせると「あまり上手いとは言えない」とのこと。

ただ、これが俳句の形式になっていないのが、個人的に残念。まあ、無理難題といえばその通りなのですが。

それはともかく、ドタバタラブコメかと思いきや、非常に深い文学的テーマを持った作品で、『空飛び猫たち』で知らなければ手に取らなかったと思います。その意味では、非常に良い作品に出会えたのはとてもラッキーでした。

個人的にですが、どれほど科学技術が発展したとしても、根本的な何かにおいてAIは人間を超えることはできないのだろうと思いました。それは人間がAIの創造主であることよりも、私たちの周りに渦巻く世界が機械のような完璧さを有しない不条理で不合理で理解の及ばない現実の下に形成されているから、なのでしょう。そういう意味では、アダムもこの現実の犠牲者であるように思えました。

とかいいつつ、”じつにオリジナルな、現代の先端を行く体験-人工物によって寝取られた史上初の男になるという体験-だったからである。”を印象深い個所として付箋を貼っているあたり、我ながら眼鏡堂書店の眼鏡堂書店たるところだな、と自分自身に感心しました。あと、リラダンの『未来のイヴ』との関連はなさそうな気がしてきました。

 

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