眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。
今回ご紹介するのは、内田百閒の『ノラや』です。
作品のあらすじは、
ふとした縁で家で育てながら、ある日庭の繁みから消えてしまった野良猫の子のノラ。ついで居つきながらも病死した迷い猫のクルツ――愛猫さがしに英文広告まで作り、「ノラやお前はどこへ行ってしまったのか」と涙塞き敢えず、垂死の猫に毎日来診を乞い、一喜一憂する老百間先生の、あわれにもおかしく、情愛と機知とに満ちた愉快な連作14篇。(Amazonより転載)
読んだ身からすると「愉快」かといえば少々違うような気もしますが、まあ、おおむねあらすじ通り。
とはいえ、あらすじに書かれていないことを補足すると、本作は随筆。つまり、作者が体験した現実に起きたこと、ともとに書かれた文章です。なので、これを安易に小説としてとらえるのは、ちょっと違うかな、と。加えて、これが小説という空想の産物なのか? それとも、随筆という現実に立脚したものか? でとらえ方も変わってきます。
それはさておき。
ここからはネタバレを含む感想その他。
ふとしたきっかけで飼うことになった野良猫。「ノラ」と名付けられたその猫と、百閒先生との日々が綴られます。良くも悪くも平凡な日々が続くかと思われた矢先、突然いなくなるノラ。
ここからが本作の山場のひとつ。
新聞広告を打つなど、四方手を尽くしてのノラ捜索大作戦。その間に、「どこかでおなかをすかせているんじゃないか?」「寒くて震えてるんじゃないか?」などなど、ノラを心配する百閒先生の心情が切々とつづられます。
特に、迷いネコの新聞広告は3度にわたって打たれるのですが、回を重ねるごとに、ただの飼い猫から愛猫へと知らないうちに代わっていくような印象を受けました。それは広告の文面に表れていて、書くことで、百閒先生がどれほどノラに愛情を注いでいたかが垣間見えます。その一方で、愉快犯的ないたずら電話があったりするなど、今も昔も、こういうことでしか社会に参加できない輩がいるのだなあ、と思いました。
結局ノラは見つかることなく、この作品は幕を閉じます。
代わりに飼い猫となったのがクルツ。
クルツを飼いながらも、その姿にノラを重ねてしまう百閒先生。
その彼の「お前はノラではないからね」という心情に、すごく心が振るわせられるというか……。このあたりの心情をビブリオ的に『ノラや』を小学生に説明して、いろいろ考えてもらうというのも面白そうな気がします。
そして、最後に息を引き取るクルツ。
このあたりの内容は、過去にペットを飼っていて最期を看取ってペットロスになったことのある眼鏡堂にはだいぶきついものでした。
「ペットロスなんて」と懐疑的に思う人たちには、ぜひ読んでいただきたいと思います。と同時に、これからペットを飼おうという人にも、ぜひ読んでほしいです。そのくらいに、あの辺のくだりは、百閒先生の切々とした心情が綴られていて、今日の我々にも迫るものがあります。
個人的に脳裏をよぎったのが、百閒先生の師である夏目漱石による猫への追悼。
吾輩は猫であるのモデルとなった猫が死に、当初は庭にある猫の墓に水と花と鮭を供えてお参りしていたのが、時の流れとともに家の中からになり……というのもの。これを喪失の傷が年月の経過とともに忘却という形で癒されている、ととらえるのか、それとも、怠惰な薄情さとしてとらえるのかも、論点としては面白そうです。
そして何より、クルツを看取った百閒先生の「もう金輪際、猫は飼うまい」という決意。本作が「ペットロス文学」と評される一端でもあります。
以上、大変に興味深い内容ではあるのですが、注意点を一つだけ。
本作は基本的に旧仮名、旧漢字で書かれています。これは著者の内田百閒が新仮名、新漢字への変更を許さなかったためです。なので、一定の読みにくさがあるのは事実。
ただ、そこまで読みにくいか?と問われると眼鏡堂的には全くそうは思わないのですが。
もっとも、20代を尾崎紅葉&泉鏡花に耽溺し、旧仮名・旧漢字にあらずんば文芸にあらず、などという狂った思想にどっぷりつかっていた眼鏡堂の感覚が正しいとは到底思えないわけで。
今、ペットを飼っている人。
これから、ペットを飼おうという人。
過去にペットを飼っていた人。
もちろん、ペットを飼っていない人も。
いろんな人にオススメしたい一冊です。
最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、ツイッターのフォローや、#眼鏡堂書店をつけて記事を拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。
【追記】
本作『ノラや』からいろんな作品が思い浮かんだのでご紹介。
1 ルドルフ ともだち ひとりだち/斉藤洋
言わずと知れた児童文学の傑作『ルドルフとイッパイアッテナ』の続編。
消えてしまったノラと新たな飼い猫クルツ。そのいなくなったノラの視点から見たクルツが描かれるのが本作。まだ穢れを知らない少年だった眼鏡堂書店にザックリと心の傷を深々とつけた罪作りな一冊です。
2 犬を飼う そして…猫を飼う/谷口ジロー
これもまたオススメ。老犬を看取る話と、もうペットは飼うまいと誓いながら、猫を飼うことになる話。
さりげなく描かれていることではあるけれど、犬を失った犬小屋が片づけられることなく物置化していくところに、ペットロスの影が見え、とにかくわかりみしかない。
これもまた、傑作といってよい一冊。