眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。
今回ご紹介するのは、村上春樹によるインタビュー集『約束された場所で アンダーグラウンド2』です。
ハルキといえば村上春樹*1という具合に人気のハルキですが、正直、眼鏡堂書店は関心が全くと言っていいほどなく、読んだことがあるのは『風の歌を聞け』『パン屋再襲撃』しかありません。なお、ずいぶん昔にさらっと読んだきりなので、感想というほどの感想も、印象というほどの印象もありません。「読んだ」というだけです。ちなみに長編は全く関心がありません。
そんな眼鏡堂書店を春樹に向かわせた作品が本作。本当なら『アンダーグラウンド』から読まなければならない気がしますが、興味という点でこちらの方が勝ったので。
さて、本作の内容はノンフィクションのインタビュー集。前作『アンダーグラウンド』が地下鉄サリン事件の被害者(その日、電車に乗っていた人たち)へのインタビューなら、本作はその事件を引き起こしたオウム真理教の信者たちへのインタビュー集。彼ら彼女らは、何を求めて入信し、そして引き起こされた数々の事件をどのようにとらえ、そして教祖をどのようにとらえているか、が村上春樹との対話を通じて明かされます。
感想としては、ありきたりではあるけれど、とても興味深かった、の一言。また、感想以上にこの本をとっかかりに(自分なりに)いろいろと考えることがありました。
それは『居場所』というものについて。
昨今、『居場所づくり』として様々な団体なり取組が行われていますが、個人的にそれらには違和感を覚えます。なぜなら、『居場所』とは結果としてそうなるものであって、目的として作り上げるものではないからです。
本作に登場する彼ら乃至彼女らは、心のよりどころとして見つけた『居場所』が結果的にオウム真理教であり、その『居場所』のほかに行き場をなくした彼ら乃至彼女らを内包したまま、数多くの凶行に至りました。幸いにして本作に収録された人々が直接的に教団の様々な凶行にかかわることはありませんでしたが、それでもその教団の内部構成員である、ということには変わりありません。
行き場をなくした人々であるからこそ、今もなお(例外はあるにせよ)その教団に縋りつかねばならない現実が、そこにはあります。
結果としての『居場所』はあくまでもオープンなスペースであり、眼鏡堂書店としてはオムニバス的な乗り継ぎ場所というイメージでとらえています。
一方の、目的としての『居場所』はまるで檻のようなイメージです。そこにいるよりほかない、そこにしか『居場所』がない。『居場所づくり』で活動している団体のすべてがそうであるとは言いませんが、そうやって、そこにしか『居場所』のない人々を閉じ込めた末に、何をやろうとしているのか?そして、当初の柔らかな目的はどのようにして変質していくのか?冷笑的な興味を覚えます。
まあ、それはそれとして。
心のよりどころであったり、欠落を埋めたり、安寧を求めた末に存在するのが宗教であるのなら、これほどに救いを与えないものもないように思えます。
文学なり神話なりで神の救いは数多く描かれますが、現実に人を救った宗教がどれほどあるか?という問いに答えるのは、簡単でもあり難しくもあります。
『アンダーグラウンド』と『アンダーグラウンド2』。表裏一体となった神の偶像をひたすら真摯に、そして自らの問いをたくさんの人々に投げかけながら解き明かそうとする村上春樹の姿に、初めて、彼の作家としての矜持を見たような気がします。
その一方で、本作に登場する信者(元・信者)の方々の入信から出家までの、ある意味でのフットワークの軽さや、無垢な魂の様相に、宗教というもののもつ深々とした闇を見たようにも思え、さほど厚みのある本ではないにもかかわらず、心理的な危険性を感じて頁を閉じることもしばしば。
もっとも、それは同時に信者全員に、「自分たちは悪なのか?」という問いを常に突きつけ続けることにもなっていますが。
地下鉄サリン事件から、30年の時を経た今。
改めて本作を読むことで感ずる何とも言えない余韻。それは、もしかしたらあの事件をタイムリーに知らない世代にこそ、読まれるべきものなのではないかと思いました。
最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、ツイッターのフォローや、#眼鏡堂書店をつけて記事を拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。
【追記】
道義的教育性を育むための土壌として宗教を新たに創造する『建神論(建神主義)』というものについて、新興宗教は大なり小なりそのような要素をはらむのだなあ、などとも思いました。