眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。
今回紹介するのは、人気女子プロレスラー上谷沙弥の自伝本『アイドルで落ちこぼれだった私がプロレス界のセンターに立った話』です。
プロレスラーとして数々のタイトル遍歴&防衛歴。それに加え『ラヴィット!』や『千鳥の鬼レンチャン』への出演で人気が大爆発した上谷沙弥の自伝本。
あらすじは、
数々の常識をぶち壊し続けるヒールレスラーの本音がここに。
今もっとも女子プロレス界で注目されている、スターダム・上谷沙弥選手の初の自伝が登場!
バラエティ番組への出演をきっかけに、プロレス界を飛び出し
世間にもその存在を知られるようになった上谷沙弥。
現在の女子プロレスブームをけん引する彼女だが、
ここまでの道のりは、決して順風満帆とは言えるものではなかった。本書で初めて詳細を明かす、
幼少期~学生時代、バックダンサー、アイドルの話。
そして導かれるように、プロレスの世界へ――。厳しい練習生時代を経て華々しくデビューをしてからも、
孤独との闘い、怪我による長期欠場など、波乱万丈な出来事が彼女に襲い掛かる。
そんななかでも、プロレスを辞めなかった理由とは。
そして「沙弥様」になるまでの秘話が綴られる。(Amazonより抜粋)
プロレスラーの自伝本、というと読書家の皆様にとってはハッキリとイロモノ分野。
プロレスラーという職業だからこその常識の枠には収まりきらないエピソードの数々がー、みたいな印象を持たれていると思います。
逆に言えばプロレスラーの自伝本などというものはそういう”イロモノ要素”を愛でて楽しむもの。たとえば、アントニオ猪木やジャイアント馬場、力道山といったレジェンドにはそういう要素込みでの魅力なのは事実です。
そこにきて沙弥さまの自伝本です。
眼鏡堂書店の感想ですが、大変に良かった、というのがまずはの感想。
どうよかったのか?といわれると虚勢や誇張がなく、とにかく等身大の彼女が挫折や壁にぶつかりながらも一歩一歩前に進んでいく様子がストレートに綴られていて、とても感心したところ。当人はこういう表現を嫌うかもしれませんが、とにかくまじめで一生懸命さが伝わってきます。文章がごくごく普通の、若い女性がありのままに書いた飾り気のない文章であるだけに、彼女の生き方や真面目さ一生懸命さが感じられます。
壁にぶつかったり挫折を繰り返しながらも人間は成長して前に進んでいく(スポーツ選手の自伝本にありがちな”進んでいかなければならない”ではない)というビルドゥングスロマン的な普遍性のある作品になっていると思いました。
単純に上谷選手のファンに向けて、というよりも眼鏡堂書店としては進路や将来に向き合う時期の高校生や大学生に読んでほしい、そんな大切な一冊です。
ダンスに熱中し世界2位まで行った少女時代。アイドルを目指しバイトAKBに合格するもそれより上に進めずにオーディションに落ちまくる挫折の日々。プロレスとの出会いとベビーフェイス時代。そしてヒールターンからの今現在…。
頑張って努力してきたからこそ今の成功がある、というよくある自伝本とは、同じフォーマットに見えながらも全く違います。正直なところ、文学性をウンヌンする書籍ではないので、はっきり言いますが文章表現に見るべきところはありません。しかし、素直な文章だからこそのストレートさが本書の最大の魅力ともいえます。
人気プロレスラーであればもう少し文章に飾り、というか奇をてらってみたりしてもよいような気もしますが、逆にこうもストレートに(ある種淡々と)自身の半生をつづる誠実さに「沙弥さまヒールに向いてない」と言われる彼女の性格がうかがえます。
個人的にそれが本書において最も大事な部分だと思っていて、悩み苦しむ彼女がどうやってそれを乗り越えてきたのか?という箇所における、等身大の一人の女性「上谷沙弥」が見えることにとても心を動かされます。
んでもって、これはこれはどちらを上げてどちらを下げるという話ではない、という前提で。
どん底から立ち上がる、という点で本書と同じであり違う部分があるのが、LUNASEAのJさんの自伝。
Jさんの自伝の中で、どうしても曲が書けず自殺を考え遺書をしたためるまでになった場面が出てきます。その時にしたためた遺書はどん底の中でやっと書き上げた曲『ROSER』のギターソロのバックでの朗読という形で使われる、という有名なエピソードがあります。
これはある種の神格化されたエピソードとして用いられ、当人もそれを許容しているので別にとやかく言う気はないし、良いとか悪いとかいう話でもありません。あれはあれでロックスターとしてのJさんを語るには欠かせないエピソードだと直撃世代としては心底感じています。
ただ、これと上谷さんの本とを比較すると驚くほどに飾り気のなさが目立ちます。そこに「ああ、本人が書いてるんだな」という一種の安心感のようなものを眼鏡堂書店は感じるのです。(※仮にゴーストライターが書いているのだとしたら、そのライターの筆のうまさに驚くばかりです)
邪推かもしれませんが、テラスハウスの一件で命を絶たれた木村花さんがスターダム所属であったことを考えると、「苦しいときはきちんと人を頼ろう、苦しいときは苦しいってはっきり言おう。恥ずかしいことじゃないから」というメッセージが込められているような気がします。特に、初めての一人暮らしで精神的に不安定になってメンタルクリニックに通った話や、心無いファンの行動に大きく心が傷ついた話など、「そこまでオープンに語るんだ」と驚きました。
つらいこと、苦しいことをオープンに語れる世界へ、というのは眼鏡堂書店としては本書のもっともよい点ではないかと思っています。忍耐が美徳とされていた時代もありますが、その忍耐が当然のものとして許容され一方的に追い込まれて命を絶つ人が今現在でも耐えません。そういった意味でも自分でもコントロールできなくなった痛みや苦しみに対して当たり前に声を上げることができる世界へ、それはとても大事なことだと思います。「ヒールに向かない」と言われるほどに頑張り屋さんな沙弥さまだからこそ、書けた内容であるような気がします。
何者かになろうとしてなれなかった、という大きな挫折から、再び”違う”何者かになろうとしてそれをなしえた上谷沙弥。ただ、その道も彼女にとってはまだまだ途中。
それを考えると、ある意味で万人の共感を(大小の程度の差こそあれ)呼ぶ本ではないでしょうか?あと、自分を後押ししてくれた人たちへの感謝にあふれた本でもあります。プロレス大賞MVPを受賞した際「この喜びを両親と中野たむさんに伝えたいです」という彼女の心の内も本作には記されています。
最近話題で、なおかつイロモノに見られがちなプロレス関連本ということでなかなか手が伸びないかもしれませんが、非常に読みやすく味わい深い読後感を与えてくれる一冊でした。内容的にも普遍的な要素が多々あって、それこそ今の時期、新生活に向かう高校生や大学生、新入社員の方など新しいスタートを切った人におすすめしたい、そんな作品でした。もちろんそれ以外の方にもおすすめです。
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