2/15(日)に東根市にあるコーヒー屋おおもりにて、石原慎太郎『太陽の季節』を課題図書とした読書会を開催いたしました。
定員5名のところ、主催者含め4名での開催となりました。
ご参加いただきました皆様、大変ありがとうございます。

先月は紅花読書会とのブックトークセッションのため読書会はお休み。
というわけで今回が新年初の読書会です。
1955年に芥川賞を受賞した作品で、70年前の小説になります。
この令和の世の中に、そんな戦後10年目の小説を読むことに何か意味があるのだろうかと思いつつの開催となりました。
今回の課題図書に関して、当時最年少での芥川賞受賞作品、この作品に影響された「太陽族」といわれる若者たちの出現、倫理的に問題があるため賛否両論を呼んだ、などなど周辺情報はだいたい把握しながらも、作品自体は全員が初読。
若い方からは「石原慎太郎って小説を書くんですね」ときたもんだ。
とはいえ、石原慎太郎が国会議員に初当選したのが68年、東京都知事に立候補して当選したのが99年。そりゃ”政治家”石原慎太郎しか知らないよね。
ちなみに、ウィキペディア先生に慎太郎の著作一覧を教えてもらったところ、政治家となっても創作はしていた様子。とはいえ、作家・石原慎太郎のイメージとしては55年のデビューから大体20年間ぐらいが作家としての活動期間のような気もします。
今回本作を選んだ理由の一つに、ポッドキャスト『けそとノビオのやまんばラジオ』の
『ザ・ピット / ピッツバーグ救急医療室』回がきっかけの一つ。
その回の中で「倫理的に正しいから素晴らしい」という評価が話されていて、眼鏡堂書店は大変に驚きました。なぜなら、眼鏡堂書店の中に「倫理的に正しい」ことを評価軸に据えたことがなかったからです。これは『けそとノビオのやまんばラジオ』を否定しているのではなく、単純に”自分の知らない評価軸で評価されていること”への新鮮な驚きです。
だからこそ、「倫理的に正しくない」とされるものは本当に「倫理的に正しくないから作品としてダメ」なのか?という興味がわきました。
だから今回の課題図書は『太陽の季節』になったわけです。
そんなわけで『太陽の季節』読書会。
まずは眼鏡堂書店の感想から。
正直、大変新鮮な読書体験でした。
なにしろ、本作の周辺情報は無数にあるのに肝心の「どんな話なのか?」という情報がゼロ。読み進めていくたびに現れる展開にただただ驚かされ、ラストがラストなだけに何とも言えない読後感にはなりましたが、先の見えない&事前情報が全くない状態での読書は大変に新鮮な体験でした。
併せて、作品の倫理観については個人的に非道徳的であるからダメという感想は抱きませんでした。むしろ、世間的に非難される割にはまともな作品であるという感想です。
参加いただいた方からは、若者の内面は今と変わらない。若さを持て余したありふれた内面の若者の物語だ、という感想。また、文章が読みやすくすらすら入ってくるので70年前のライトノベルのような印象を抱いた、などなどの感想をいただきました。
とはいえ、『太陽の季節』の簡単なあらすじを。
高校生・津川竜哉はバスケット部からボクシング部に転部し、ボクシングに熱中しながら部の仲間とタバコ・酒・バクチ・女遊び・喧嘩の自堕落な生活を送っている。
ある日、竜哉は街でナンパした少女の英子と肉体関係を結び、英子は次第に竜哉に惹かれていく。だが竜哉は英子に付き纏われるのに嫌気がさし、英子に関心を示した兄・道久に彼女を5千円で売りつける。それを知った英子は怒って道久に金を送り付け、3人の間で金の遣り取り(契約)が繰り返される。
ところが英子が竜哉の子を身籠ったことがわかり、妊娠中絶手術を受ける。手術は失敗し英子は腹膜炎を併発して死亡した。葬式で竜哉は英子の自分に対する命懸けの復讐を感じ、遺影に香炉を投げつけ、初めて涙を見せた。竜哉は学校のジムへ行き、パンチングバッグを打ちながら、ふと英子の言った言葉を思い出した。「何故貴方は、もっと素直に愛することが出来ないの」。竜哉はその瞬間見えた英子の笑顔の幻影を夢中で殴りつけた。(Wikipediaから引用)
まあ、そりゃ賛否もあるよねえ、という感じですが読んでみると意外とそうでもないのが不思議。発表当時の世相を考えると納得もいくというか、当時は戦後10年目。この翌年に経済白書で「もはや戦後ではない」という文言が登場。世間的には神武景気で沸き立っています。敗戦を機にそれまでとのモラルや常識がガラッと変わったからこそ、太陽のような若さを持て余した若者たちが無軌道な青春を送るのが『太陽の季節』という物語です。彼らの派手な遊びっぷりに驚きつつも、実際にそんなことができたのは当時の太陽族の中でもごくごく一部。大半は「あんな風になってみてえ!」みたいな羨望もあったのでは?という意見も。その派手な遊びっぷりも、所詮は親の金、というのが彼らがまだまだ子供なことを表しています。とはいえ、本作における彼らはまだ高校生。参加者からは「大学生っぽい」という意見が。眼鏡堂書店含むオジサン側から言わせれば「若い頃は大体あんな感じ」とも。
英子が竜哉に対する態度の代わりっぷりについては、彼女の竜哉を愛するスイッチが入ったのでは?と。それとは対照的に竜哉が彼女を拒むのがわからない、という意見には、あれがあの時代の男の見栄という意見が。総じて、男はいつまでたっても馬鹿だ、と丸く収まったり収まらなかったり。
女性の参加者の方からは、息子と母との関係性について指摘が。母と娘と父と息子のほかに、母親と息子との関係性の違いについて、女性の視点から教えていただきました。こういうときに異性の勢の視点が入るのは大変ありがたいです。
登場人物がどれだけワルぶってみたところで、何か不都合が起こると最終的に泣きつくのが親、というあたりにまだまだ彼ら(彼女ら)が子供であることを表しています。
個人的に本作を外堀から埋めようとポッドキャストでの『太陽の季節』解説をいくつか聞いたのですが、ほとんど役に立ちませんでした。後年の政治家としての慎太郎のいくつかの失言によるバイアスから、ジェンダーやフェミニズムの悪い意味でのフィルターがかかっているような気がしました。
ただそんな中でも、本作と村上龍の『限りなく透明に近いブルー』、綿矢りさ『蹴りたい背中』を三本柱に、青春小説の系譜を論じていた個所はわずかに参考になった気がします。んで、その『蹴りたい背中』ですが、参加者4人中3人が読んでいないという驚愕の事実が判明しました。あれだけ売れたのに!(笑)
全員の共通するところで、有名だが読んでいない作品を読む新鮮さを堪能できたこと。そして、この作品が読まれなくなった理由についても様々な意見が出ました。
個人的には、これが読まれなくなった、というよりも、本作に変わるその時代の若者が求める作品が常に出ているからでは?という考えを出してみました。
眼鏡堂書店も中年なのでそういう若向き小説を掘る気にはあまりなれません。むしろ、それを掘るのは若者であるべきだし、若者が掘らなければ、と。
そう考えると、本作の前の青春映画が石坂洋二郎『青い山脈』とかなのが興味深い。どちらかというと、大人が若者に対して「こうあれ」という雰囲気の作品。
それに比べると『太陽の季節』の生々しさが強調される気がします。
『太陽の季節』というタイトルも秀逸で、若さを象徴する太陽はいつか沈むし、この乱痴気騒ぎのような青春も季節と同じく移ろい終わっていく。慎太郎、なかなか上手いやないか。
なかなか新鮮な読書体験であり、割とオススメの一冊です。
興味がわきましたら、ぜひお読みいただければ、と。
あと、発表の翌年に公開された映画もオススメです。
おじいちゃん、おばあちゃん役でしか知らなかった俳優たちがピッチピチのヤングで登場するので1周回って回って面白いです。また、文章で読んでぴんと来なかったところも、映像ならわかる向きもあろうかと思います。
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