眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。
今回紹介するのは、フェルディナンド・フォン・シーラッハの戯曲『神』です。
眼鏡堂書店は山形県内にて、課題図書型の読書会を開催しています。
そのなかで過去にも戯曲を課題図書にしたことがあり、このジャンルを積極的に取り扱っていきたいという想いがあります。
とはいえ、戯曲や脚本は小説やノンフィクションに比べ非常なマイナージャンル。どこの書店にもあるわけではありません。
例外はシェークスピアなのでしょうが、それはともかく。
そんななかにあって、 新刊として戯曲が刊行されるというのは大変に喜ばしいことです。えらいぞ、創元社!
それでは本作の簡単な内容について。
場面は裁判所の法廷のみ。あわせてドイツは陪審員制を採用しているため、観客は陪審員として判決に参加することになります。
舞台は一人の老人が自身の主治医を訴えたことから始まります。
最愛の妻を失った老人は生きる気力を失い、主治医に対して自殺のほう助を依頼します。生きる気力を失ったとはいえ、健康状態にある老人への自殺ほう助を医師は当然のごとく拒否。これに対して老人は医師を「患者に対して行うべき適切な医療行為を行っていない」として訴え、裁判となります。
老人の訴えは是か非か?それを法廷で争うのが本作です。
シーラッハの戯曲は、問題作といわれる『テロ』があり、これも『神』同様に「安易に結論を出せない問題」を扱っています。
「自殺はいけない」「命を粗末にしてはいけない」と言うのは簡単です。しかし本作が問うのは、自分自身の命の所有権、そして自分自身の命への裁量権は一体誰にあるのか?
自分自身の命の扱い方は自分自身によって決められるべきなのか?
自分自身の命の扱い方は自分自身以外によって決められるのか?
このふたつの問いを前にすると、「自殺はいけない」「命を粗末にしてはいけない」という言葉の意味合いや感触が変わってきます。
自殺、という言葉が極端な、あるいは重さをもって感じられるのなら、「終末期医療はいつまで行わなくてはならないか?」という問題へ置き換えてもよいかもしれません。
苦痛を伴う生と安息の死。その当事者にとって最も幸福なのはどちらか?
そういった問いへ踏み込んだのが『神』という戯曲です。
裁判の席上に立つ証言者たちは3人。医学者、法学者、そして神学者。
3人それぞれの言葉に目を通しながら、あなた自身はどのような判決を下すのか?
テーマの重さもさることながら、AIに尋ねても確実な答えが返ってこない問いでもあります。何でもかんでもAIに問えば簡単に答えを手に入れられる、そんな今だからこそ読んでほしい一冊です。とはいえ戯曲なので、小説や評論と違い、読み進めるのに少々難儀というかコツをつかむまでに苦労する人もあるかと思いますが、読んでみて損のない一冊だと眼鏡堂書店は確信しています。
大切なことなのでもう一度言いますが、読んでみて損のない一冊だと眼鏡堂書店は確信しています。
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