眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。
今回紹介するのは、伊藤薫『生かされなかった八甲田山の悲劇』です。
眼鏡堂書店の読書会では、1/26に山形市にて新田次郎『八甲田山 死の彷徨』を課題図書とした読書会を開催しています。
その模様はコチラ。
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日露戦争を2年後に見据えた1902年。寒地訓練として八甲田山に向かった青森第五連隊210人が現地にて遭難、199人が死亡するという世界登山史上最悪の山岳遭難事故となりました。
この未曽有の大事故による教訓は、日露戦争においてどのように生かされたのか?というのが本作の内容。
しかしそれは表題からもわかる通り”生かされなかった”。
では、その”生かされなかった”はどのようなレベルで”生かされなかった”のか?
そして、なぜ”生かされなかった”のか?
本作はそこに迫っていきます。
本来のリーダーである神成大尉ではなく編成外で随行する山口少佐が指揮権に介入し、部隊に大きな混乱をもたらしたことが直接的な遭難の原因として人口に膾炙しています。とはいえ、著者の伊藤薫氏は「そのようなリーダーシップ論でまとめるべきではない」としています。現場でのリーダーシップ論というよりも、そもそもの運用や計画という点で失敗することが決定されていたともいえます。
詳細については実際に本書をお読みいただきたいのですが、まあこれが酷い。
責任者不在、あまりにも短い準備期間、ずさんすぎる訓練計画、到達地点に誰も言ったことがなくそれがどういった場所か誰も知らない、備品の圧倒的な不足、雪中行軍についての対応不足などなど……。
前半は実際の事件についての振り返りがあるので、前述と矛盾しそうですが小説としての『八甲田山 死の彷徨』よりもノンフィクションドキュメントとしての本作だけでも楽しめるような気がしてきました。
そして、本作の白眉となるのが後半部分。
つまり、あの教訓はなぜ生かされなかったのか?
以前に紹介したのが新田次郎『聖職の碑』。
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詳細はリンク先をご覧いただきたいのですが、大きな山岳事故を起こした後、検証委員会が開かれるも、最終的に帰結するのは情緒面での解決。
二度と起こさないように、が、いつの間にか「この犠牲を無駄にしない」の意味合いが変質していきます。
単純にそれは犠牲家族の心情を慰撫する、という行動だったのでしょうがそれが本質に置き換わってしまいます。
それは本作でも同様で、犠牲者家族の心情を慰撫することが目的になり、そこからどんな教訓があり、二度と起こさないためにどんな対策を講じるべきか?がいつの間にか薄れていきます。
結果として、日露戦争では相変わらず寒地で握り飯を凍らせ、部隊の大半が凍傷に苦しむ結果になります。
ここでちょいちょい引用されるのが森鴎外の従軍日記。
日露戦争の戦犯の一人として鴎外の名が挙がるのですが、本作を見る限り一人の軍医として「なんで徹底されてないんだ!」と混乱する鴎外の姿が浮かび上がってきて、何とも言えない気分になります。
そこに加えて、あの遭難事故を闇に葬ろうとする司令部の暗躍など、『坂の上の雲』では全く顧みられることのなかった明治期の裏面が見えてくるようなところも。
作家・大西巨人は『神聖喜劇』のなかで、旧日本軍の指揮体制を「累々たる無責任の体系」と評しています。責任の不在や事なかれ主義、表面上の解決など。本質的な解決ではなく表面だけの解決によって、終わったことにされてしまいます。
併せて、それらの問題が全く解決されることなく、日露戦争の勝利によって本質的な解決からは大きく遠ざかり、いつの間にか忘れられていきます。
個人的に日本的組織の問題、というよりも、組織という集団が持つ本質的な問題であるような気がしました。それだけに病巣が深いというか……。
一方で、作者には失礼かと思いますがあくまでもアマチュア郷土史家の作品ということで、それがどの程度一次資料との整合性と正確さがあるかは疑問ですが、それでも本作を通して様々な考えさせられるものがたくさんある一冊でした。
だからこそ、著者の関連作品をたくさん手に取ってきたのかもしれません。
ポッドキャスト『積ん読ざんまい』で知った山岳遭難本の魅力にはまり込んだ一作です。パーソナリティーのお二人の想定した魅力ではないかもしれませんが、眼鏡堂書店にとって新しい世界が開けました。ありがとうございます。
『八甲田山 死の彷徨』『坂の上の雲』などの関連作品の一つとして、大変興味深く読めました。
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