眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。
人気料理研究家のレシピ本であり、
美味しさと手間は比例しない。
簡単にできてウマかったらそれでいいじゃん。
といった発言で知られるリュウジ氏。
料理(自炊)のハードルを下げるという点で功績ある人ですが、個人的にこのレシピ本はいろいろ考えさせられるものが。
財布の中身が限界、体力や精神面で限界。そんな時に作る最低限の虚無ご飯。
その趣旨は理解できるので、まあ前者のためのレシピという具合。
ちなみに、個人的に思う(考えさせられる)のは、後者の観点で本作を見た場合。
多分そんな時は、このレシピに従ってまで料理しなければいいような気がします。
美味しさと手間は比例しない、というのは理解できるのですが、かといってこの『虚無レシピ』を肯定できるかというと……。
あくまでも「料理研究家」なのでその研究成果がこの本だとして。
その研究成果の中で「食べる」とはどういうことか?について考えるなりしてみるには良い1冊だと思っています。
その際に合わせて読めばよいと思うのが、檀一雄の『檀流クッキング』。
ある意味でリュウジ氏のレシピ本と共通しつつ相対する1冊。
それぞれを読み、何が共通し、何が相対しているのかを比較するのもまた読書の面白さです。
ちなみに眼鏡堂書店の本棚での紹介はコチラ。
glassesbookstore.hatenablog.jp
話は戻して『虚無レシピ』へ。
それぞれのレシピのすべてがダメというわけでは当然なく、収録されているメニューから各々取捨選択すればいいのですが、それでもこれはアウトだろう?というのも多々。
特に第1章~2章にかけてあるゴハンもの(丼物)のビジュアルをもう少し考えてもらえなかったか?というのが眼鏡堂書店の正直な感想。とはいえ、『虚無レシピ』の企画祖物の趣旨は理解できるので、レシピ的にはそのビジュアルが正解なのはわかります。
ただ、自分でそれを作った時には”食器に移す”、という過程をひとつ加えるのが良いと思います。洗い物が増えてしまいますが、そのひと手間が、これを「食事」にするか「食餌」にするかの境目ではないでしょうか?
なんか、全編「貧乏人はエサを食え」と言われているような気もします。
眼鏡堂書店はあまり食事というものに興味のない人なので、手間がかかっている・かかっていないはよくわからないし、さらに言えば美味しい不味いもよくわかりません。
そういう人間の視点から見ても、魅力的な映り方がしない、というのが正直なところ。それは彼の『虚無レシピ』に限らず、彼の虚無ではないレシピ動画等を見ていても感じます。
余談ですが、インスタで流れてくるダイエットレシピや節約レシピの数々が、不味そうに映るのはジップロックとかフライパンからの直食いだったりするところが大きいように感じます。あるいは、食器の選定で損をしているとか。単に食欲を満たす、死なないよう栄養を摂取する、というだけの「飯を食う」でよいのだろうか?とも考えたりします。その点に関しての一つの答えが、「檀流クッキング」には書いてあるので、興味のある方は紐解いてみるのも一興かと思います。
さて。
最後に、リュウジ氏の料理研究家としての人気や将来性を評価しつつも、眼鏡堂書店が大変にひっかかった言葉を引用してシメたいとおもいます。(※は眼鏡堂書店による付記)
いつもの半分くらいしか内容がありませんが、別にいいんです。
「虚無ブログ」なので。
ボウルのままでいいです。
(※別の器に盛らなくても)味変わんねえから。
卵はひっくり返さなくていいです。
何度も言いますが、味同じなんで。
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