眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【眼鏡堂書店の本棚】けものたちは故郷をめざす/安部公房

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回紹介するのは、安部公房の初期作品から『けものたちは故郷をめざす』です。

けものたちは故郷をめざす/安部公房

あらすじは、

満州に育った少年・久木久三は一九四五年の敗戦、満州国崩壊の混乱の中、まだ見ぬ故郷・日本をめざす。極限下での人間の存在を問う、サスペンスに満ちた冒険譚。故郷、国家…何物にも拘束されない人間の自由とは何か。安部文学の初期代表作。(Amazonより引用)

 

作者の安部公房についていまさら語ることはなにもないわけですが、というか「安部公房を知らない」人がまさかこのブログを読んでいるとも思えないわけで、しかしながら昨今そのような自分の常識が一般の常識と同じであると思ってはならない、などと殊勝にも思う眼鏡堂書店は、無言でウィキペディア先生に頼るのでした。

そういうわけで、安部公房とは何者か?についてはリンク先をどうぞ。

(※以降の感想等で、非常に重要な参考文献となりましたのでぜひ目を通してください)

ja.wikipedia.org

 

本作の内容は、一言で「満州からの引き揚げ」。それは読む前からわかっていたことで、さらに言えば安部公房自身が満州で育った経験があるため、故郷喪失者の視点から満州引き揚げが描かれるものと思っていました。無論、『箱男』や『砂の女』などに代表される、一種奇妙で乾いた安部公房独特の文体で。

ですが。

実際読んでみると、とにかくただただ圧倒される、という感想しかでてきません。

まず第一に感じたのが、満州引き揚げという実にパーソナルなことを安部公房が書いた、ということ。

安部公房は「私小説は書かない」と公言しており、作家自身を作品に投影しない印象があります。あくまでも作品と作家は別の存在であろうとする彼の姿勢は、私小説的な文脈で成長を遂げてきた日本文学の中では異質な存在です。

そんな彼が唯一書いたパーソナルな作品、それが『けものたちは故郷をめざす』です。

もっとも、彼自身は満州引き揚げを経験しておらず(※終戦前に日本へ帰国)、作品で描かれているのは完全なフィクション。そのあたりが、安部公房らしく感じました。

後年の作品では、熱量の低い乾いた文体に特徴があるのですが、初期作品であるからなのか?それとももっと別の意図からなのかは読みとれませんでしたが、本作は妙な熱量とニヒリスティックな冷たさとが混在しています。

満州生まれの主人公久三は、満州国の崩壊を経て両親の故郷である日本をめざすその逃避行が描かれるのですが、これが悪夢的。

信じる相手もなく、相手を信じてはいけない。ただただ日本を目指し、満州の極寒の荒野をさまよいます。相棒的な存在として登場する高石塔の信用できなさ、そもそも彼は何者なのか?という疑念。満州国という秩序が崩壊して以降の、新たに組み上げられたパワーバランスの中での”日本人”という存在。寒さと飢え、そして乾き。加えて、中国軍の兵隊に狙われるかもしれないという命の危険……。

安息の地をめざす逃避行として考えるのならば、近しいのはコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』かもしれませんが、本作の地獄&悪夢的な世界は、比較するよりもまず一種異様としか言いようがありません。決定的な違いは、そこを目指すことに明確な意味が存在するか否か。『ザ・ロード』は少なくともこの現状よりも安息の場所であるから、という理由で南への旅を続けるわけですが、本作において日本に行ったその先にある未来は全くの白紙。なにがどうなるともわからずにただただ日本をめざす。久三にとってそこが故郷(※久三自身は日本のことを知識でしか知らない)であるがゆえに。

自由を求める逃避行でありながら、そもそも自由とは何か?といった問いを突き付けられているように思えました。「お前が求めているのは本当に自由なのか?」というような。

そのなかで印象に残るのは、鼠に食い荒らされた5体のミイラと、石で彫り込まれた文字。そこにはこう書いてあります。

ムネン

ミチ ナカバニシテ

ココニ

ワレラ ゼンイン

ネツビョウニテ

タオル

二十一ネン ナツ

ミズウラ タケシ

ホカ 四メイ

後述でこの熱病が発疹チフスであることが暗示されるのですが、事実として安部公房の父が発疹チフスで亡くなっています。

最後になればなるほど、混沌とした狂ったような雰囲気は最大限に加速します。

ソ連の対日参戦という事態によって、すべてがはぎとられた”けものたち”。

そのけものたちが生きるために、もっと直接的な言い方をすると生存本能に従って”故郷をめざす”。混沌とした、そして異様なまでの生々しさが作品全体から感じられます。それは最後になればなるほど高まっていきます。

眼鏡堂書店がそう感じた箇所ををいくつかいくつか引用します。

……ちくちょう。まるで同じところを、ぐるぐるまわっているみたいだな……いくら行っても、一歩も荒野から抜けだせない……もしかすると、日本なんて、どこにもないのかもしれないな……おれが歩くと、荒野も一緒に歩きだす。日本はどんどん逃げていってしまうのだ……

 

……きっとおれは、出発したときから、反対にむかって歩きだしてしまっていたのだろう……たぶんそのせいで、まだこんなふうにして、荒野の中を迷いつづけていなければならないのだ……

 

だが突然、彼はこぶしを振りかざし、そのベンガラ色の鉄肌を打ちはじめる……けものになって、吠えながら、手の皮がむけて血のにじむのもかまわずに、根かぎり打ちすえる。

 

個人的に思ったのは、故郷喪失者としての現在では存在しない満州という場所への思い。そして現在の故郷である日本への違和感。かつての五族共和の空虚感。満州国の崩壊によって目の当たりにしたであろう秩序の崩壊。極限状況下での人間の醜さ。安部自身がその最中にあるはずだったのに、そういった時代の荒波に飲み込まれなかったからこそ、どうしてもそれに向き合わなければならないというようなケジメ。あるいは義務感からか?

とにかく、最初から最後まで圧倒され、翻弄されっぱなし。あまりの熱量や圧の強さに、ときどき本を閉じて落ち着かないといけないくらいの作品でした。良い意味でなのか悪い意味でなのかはおいておくにしても、『箱男』や『砂の女』のイメージで読むと裏切られるだけでなく、ただただ当惑させられます。そういう意味では、安部公房作品としてはかなり異質な作品です。

ずいぶん長い間本棚に眠っていたのですが、何の気なしにページを開いたところ、まあとんでもない作品だということで、読んだというよりは読ませられたという印象。ただ、題材が題材なだけに、ちょっと苦しかったというのも本音のひとつ。

でも、安部公房の意外な一面を見せられた、という点では大変に有意義な読書体験でした。

 

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