眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。
今回紹介するのは、藤井聡太六冠が七冠になるかもしれない昨今のムーブに乗っかった将棋ネタ、団鬼六の『真剣師 小池重明』です。
あらすじは、
プロよりも強いスゴイ奴がいた!“新宿の殺し屋”と呼ばれた将棋ギャンブラーが、闇の世界で繰り広げた戦いと破滅。日本一の真剣師を決める通天閣の死闘など、壮絶な軌跡を描く傑作評伝。(Amazonより引用)
真剣師とは、賭け将棋を生業にするギャンブラーのこと。その真剣師の世界で無敗を誇った”新宿の殺し屋”小池重明の物語。といっても、少々変わっているのがこの作品。
基本的に作者の団鬼六が語り手なのですが、団先生が小池と会ったのはずいぶん後年のこと。そんなわけで、物語は小池の葬式から始まります。そこからさかのぼる形で、小池自身が書いた『放浪記』(※団が編集を務めた『将棋ジャーナル』に連載された)に、団先生が輔弼する形でストーリーは進みます。
将棋というものの魔性に飲み込まれた男の生涯、あるいは最低の人間性に反比例した将棋の天才の死に様。何というか、スケール感が違います。
藤井壮太六冠を代表するように、将棋界の皆さまは品行方正。チャンピオンすらもサラリーマン化してしまった、と本作の中で団先生が嘆かれてますが、まあ、そんな時代もあったね、というようなある種の懐かしさを感じているように、眼鏡堂は読み取ってみました。
いずれにせよ、あの時代だったからこそ活躍できた、というのがこの真剣師という存在。眼鏡堂がかつて夢中になって読んだ阿佐田哲也の『麻雀放浪記』とずいぶん近しいものを感じます。あるいは、アウトローの時代の終わりという意味では映画『ワイルドバンチ』とか。
通天閣の死闘と称される一戦では、西の真剣師・鬼加賀こと加賀敬治を打ち破り、名実ともに日本一の真剣師へ。そしてアマチュア名人戦をも制し、表舞台でもその強さをいかんなく発揮。アマの世界で相手がいなくなると、今度はプロを相手に。昭和の大名人といわれた大山康晴や田中寅彦、中原誠や森鶏二といったプロの強豪もなぎ倒していく。圧倒的な強さを誇るも、それだけ強い小池とは誰も戦いたがらなくなり、やがて将棋道場の金に手を付けて出奔。それを何度も何度も繰り返す。
腕は立つが、人間性は最悪。そのあたりのバランスを好ましいととるか唾棄すべき輩ととるかが、この本の好悪を決める試金石になりそう。
かつてはカッコよさを感じていた部分ではあるのですが、年齢を重ねた今読み返すと、正直、このマイナスの部分が非常に嫌悪感を呼び起こします。まあ、眼鏡堂書店も人生を重ねる中で非常に嫌なこともあったのですよ(意味深)
まあ、それはさておき。
玄人筋では有名な逸話が書かれていないので、ここでちょっと追記しようと思います。
それはプロアマ混合戦で、先にも書いた昭和の大名人といわれた大山康晴永世名人(※当時の将棋連盟会長)を角落ちのハンデ付きとはいえ圧勝している小池重明が、全く歯が立たず負けた相手がいること。
それが、当時十段だった加藤一二三。
今でこそお笑い芸人にイジり倒されている面白おじいちゃんという扱われ方ですが、最年少でプロ入りし、「神武以来の天才」と称されたのは伊達ではありません。
小池重明の指し筋は、終盤の早指し戦で相手のミスを誘って逆転するという特徴があるのですが、加藤一二三にはまったくそれが通用せず、逆に早指しを得意とする小池が終始劣勢に追い込まれる始末。しかもこのとき加藤一二三は小池に対して角落ちで対局していた模様。
いやぁ、強いな。ひふみんは。
少々補足を加えると、ひふみんは早指し戦の強さに定評があることで有名。同じく早指しで相手を泥沼に引き込む「泥亀流」で知られる米長邦雄をもねじ伏せるくらいの強さ。そこで付いたのが「早指しの神様」という異名。ただ、これはすぐに本人から強くクレームが入り「早指しの名人」に変わりました。ちなみに、その理由はひふみんがクリスチャンだから。神は父なるイエスただひとり、というわけで。
もう一つが、ちょうど団鬼六のところに身を寄せてしばらくのこと。
二人で船旅をしていた時のこと。ある朝、ニマニマとお札を数えている小池を見た団先生。
「お前、そんな金どうしたんだ?」
「昨日、真剣で儲けたんですよ」
「真剣、って最初に見せ金が必要だろう?一体どうしたんだ?」
「先生は寝てらしたんで、相手に「あの人が俺の親方だから、負けたらあの人が全額払います」って言って真剣をやりました」
小池のこの言葉に団は激怒。
「いい加減にしろ!お前、負けたらどうするつもりだ!」
すると、小池はニヤりと笑ってこう言ったそうです。
「先生、俺がその辺の素人相手に負けると思ってるんですか?」
将棋というのは眼鏡堂の考えるところ、ノブレスオブリージュの最たるもの。
強ければ何をやっても許されるものではないのです。強さには相応の品格が求められる、それが将棋の世界だと思っています。
そんな中で、真剣師という存在が許されたのは、町場の将棋道場で賭け将棋が黙認されていたりした悪しき時代のあだ花があったからこそ。そういった時代を是として懐かしむか、それとも、すでに断ち切られた悪しき過去の風習ととらえるか、そこが本作、ならびに小池重明という人物への評価の分水嶺になりそうな気がします。
あと余談ですが、いくつかの資料と照らし合わせると、けっこう団先生が盛ってる印象があって、本作を事実として鵜吞みにすると結構事実との間に齟齬を生みそう。まあ、大枠において間違ってはいないとはいえ。
最後に、作中の文章を引用して終わりたいと思います。
あれだけの将棋の天才でありながら、たった一つしかない人生にそれを生かしきることができず、四十四年の短い生涯を酒と女に溺れて使い切ってしまった男である。
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