眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【眼鏡堂書店の本棚】斬/綱淵謙錠

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回ご紹介するのは、綱淵謙錠の『斬』。幕末から明治の大きな時代のうねりの中で翻弄される首斬り役人の一族の物語です。

斬/綱淵謙錠

余談ですが、裏側見返しに前の持ち主の署名がありました。運動会中止の日に届いたようですが、書店名がどうしても読み取れませんでした。丸内書店のようですが、本当などうなんでしょう?解読班の方々、解読のほどよろしくお願いいたします。

前の持ち主の書き込み

 

さて。

 

あらすじは、

最も人道的な斬首の方法とは、被刑者に何らの苦痛もあたえず、一瞬のうちに正確にその首を打ち落とすことである...。“首斬り浅右衛門”の異名で恐れられ、七代二百五十年に渡り世襲として罪人の首を切り続けた山田家の一族。その苦悩と末路とは?豊富な資料に裏打ちされた、第67回直木賞受賞の異色歴史小説。(Google Booksより引用)

作品の舞台となるのは、主に幕末から明治にかけて。そうなると思い浮かぶのが、『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』などの司馬遼太郎作品。ですが『斬』で描かれる明治と幕末の風景と物語は、その司馬史観とは異なった光景を見せてくれます。

作品の主役となるのは、山田家の人々。

山田家といえば当主は代々浅右衛門を名乗り、”将軍家御佩刀御試御用”、

つまり将軍家御用達の刀剣鑑定家として地位を気付いた家柄。併せて、作・小池一夫、作画・小島剛夕の劇画『首斬り朝』の一族、幕府より任じられた首切り役人としての一面もとくに有名です。

『斬』の冒頭は、丸薬・浅右衛門丸から始まります。気付け薬として昭和の初期まで使われていたと言われるこの丸薬ですが、その原材料は人間の胆。首切り役人としての特権の一つとして、斬首した罪人の内臓から薬を作って販売することを許可されていました。これによって山田家は浪人という扱いながら莫大な富を有するアンバランスな存在として位置していました。

幕末の動乱は、首切り役人としての山田家の存在を際立たせていきます。安政の大獄で捕らえられた吉田松陰頼三樹三郎の斬首。しかし時代は急速に幕府体制の終わりへと向かっていきます。

山田家の次男、吉亮(よしふさ)は彰義隊に参加しようと上野まで行くも、人斬り役人の不浄の力を借りるわけにはいかない、と拒否されます。刀によって首を斬るという極めて武士らしい存在でありながら、罪人を斬りそこから財を得るという相反することごとにより、最も武士らしいにもかかわらず、最も武士から遠い存在であることが浮き彫りになり、このあたりの吉亮の悲嘆は迫るものがあります。

山田家に悲劇は、本格的な文明開化の明治期に入ると、さらに加速していきます。

人斬り役人として綿々と続いてきた山田家の歴史は、つぶしが効かないために明治の代の中でどんどんと孤立していきます。

そんな空気が色濃く感じられるのが、

「いいんです。ぼく(と真吉は自分をそう呼んだ)はどっちみち生まれるのが遅すぎたんです。もう三年早ければ亮兄さんと同じ道を歩けたかもしれませんが、なんだか世の中が変わっちゃって、どうしてよいのか、ちっともわからないし……。中途はんばなときに生まれちゃったのがいけないんです。こんな兎でも飼って、もんやり生きておれれば、それ以上のことは望みません」

 

明治3年には「様(ためし)斬りの禁止」が発せられ、浅右衛門丸の材料を入手する方法が絶たれます(※人間の胆から動物の胆へと変えた模様)。そして時代は斬首刑から近代的な絞首刑へと変わり、文明開化の喪失感が山田家の崩壊を加速させていきます。

兄の死や弟の出奔、歩むべき道筋を見失った山田家の人々は放埓な生活で身を持ち崩したり……。明治の文明開化というとどちらかといえば近代化へと向かう華やかさで語られることが往々にしてあるようですが、本作ではそのような時代の波から零れ落ちた人々の悲哀が非常に強い印象を与えます。

そして日本刑罰史上最後の斬首刑となる、明治14年に岩尾竹次郎、川口国蔵の2人の死刑執行されるのですが、この場面での虚無感というか喪失感が読後に重くのしかかってきます。そこで吉亮がつぶやく「山田家は呪われている」。

幕末から明治の時代の波に翻弄された一族の物語は、まるでヴィスコンティの映画のようでした。歴史の敗者の側、それも戦って敗れることすらできなかった人々の滅びの物語は非常に重厚で読みごたえがありました。特に、繰り返すようですが「山田家は呪われている」で締めくくられる最後の斬首刑のシーンは、ただただやるせなく、虚無感に包まれます。細かな時代資料と創作のバランスの良さは非常に興味深く、今から半世紀も前に出版されたとは思えないくらい、古さを感じませんでしたし、非常に濃密で読みごたえがありました。もっとも、幕末ビギナーにオススメできるかというと、入り口がトリッキーすぎるような気もするので、司馬遼太郎池波正太郎山本周五郎などの時代小説を読んだ人が、次に手にする本としてはうってつけなのでは、と思いました。

読んで絶対に損をしない、少々地味ですが間違いなく心に残るものがある作品です。

 

最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、ツイッターのフォローや、#眼鏡堂書店をつけて記事を拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。