眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【眼鏡堂書店の本棚】『猫と蟻と犬』梅崎春生

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回ご紹介するのは、第一次戦後派作家である梅崎春生の怪作『猫と蟻と犬』です。

なお、本作は中央公論から発売されている『ボロ家の春秋』と『カロや 愛猫作品集』に収録されています。なお、眼鏡堂書店は上記のどちらも所蔵しています。

猫と蟻と犬/梅崎春生

梅崎春生大正4年福岡県生まれ。昭和14年に『風宴』でデビュー。昭和17年に陸軍に召集され、対馬重砲連隊に配属されるも病気により即日帰郷。昭和19年から終戦まで海軍へ配属となりました。復員後書き上げた『桜島』や『日の果て』で、野間宏武田泰淳らと並ぶ第1次戦後派作家のひとりとして活躍。『ボロ家の春秋』で直木賞、『砂時計』で新潮社文学賞、『狂い凧』で芸術選奨文部大臣賞、『幻化』で毎日出版文化賞を受賞しました。昭和40年に50歳の若さで亡くなりました。

梅崎春生のプロフィールについて、眼鏡堂書店的に捕捉を。

まず、昭和17年対馬重砲連隊への配属について。一部の純文学ファンなら、このキーワードにピンとくるかと思います。そう、『神聖喜劇』で知られる大西巨人と全く同じ配属先!単なる偶然とはいえ、こういうところに運命というか、人間のつながりのようなものを感じます。

それはよいとして。

 

梅崎春生は一時、講談社文芸文庫でしか読むことのできない作家でした。

青空文庫でも読めたのですが、個人的に一番面白い中期の愛猫小説がごそっと抜けているなど、なかなか厳しい状況でした。ですが2021年、何を思ったのか中央公論が『ボロ家の春秋』『カロや』『怠惰の美徳』と立て続けに発行。(眼鏡堂書店の中で)一大梅崎春生ブームというビッグウェーブがやってきました!

特に、後年に内田百閒的な幻想世界を形成する前の、一種異様な笑いが凝縮された中期の小説群は一部の好事家にとどめておくのはもったいない!

というわけで、そんな中期作品のなかでもひときわ異彩を放つ怪作、『猫と蟻と犬』をご紹介する次第です。

 

働いたら負けだと思ってる(迫真)

かつて、吉行淳之介先生は先輩格の梅崎春生先生についてこのように言ったといいます。

「あの人は、もっと仕事をした方がいい」

酒に女に麻雀などなど。趣味人であり通人として知られる文壇きっての道楽者、吉行先生をして「働いた方がいい」と言わしめる梅崎先生の仕事ぶりとはいかなるものだったのでしょうか?それが今回ご紹介する『猫と蟻と犬』からうかがえます。

本作はこんな文章から始まります。

どうも近頃身体がだるい。なんとなくだるい。身体の節々が痛んだりする。身体だけでなく、気分もうっとうしい。季節のせいかも知れないとも思う。仕事のために机の前に座ろうとすると、膝や尾底骨あたりの神経が突然チクチクと痛み出してくる。だから余儀なく机を離れると、痛みは去る。そんなふしぎな神経障害がある。仕事をするなというのだろう。

これまでいろんな本を読んできましたが、こんな書き出しは初めてです。

こわい。むしろ、超こわい。

どれだけ働かない気なのか?と。ちなみに、梅崎春生は病弱である以上に怠惰で有名で1日2時間しか仕事をしなかったそうです。

 

『猫と蟻と犬』は、愛猫カロ、愛犬エス、どっかの鶏オートバイ、梅崎家の庭にいる4種類の蟻、そして秋山画伯が登場する、オールスターキャストのドタバタ喜劇です。ちなみに、本作を読むとわかるのですが、『ボロ家の春秋』『カロ』『落ちる』などが重なり合うスピンオフ作品というか、オムニバス的な要素がさりげなく織り込まれていて、この時期の梅崎作品を読んでいれば読んでいるほど、ニヤリとさせられます。もちろん、読んでいなくても十分に楽しめます。

普段の【眼鏡堂書店の本棚】ならば、あらすじのひとつも説明するのですが、今回はあえてしません。というか、まったくの未知の状態で読んだ方が「なんだこの小説?」となるからです。

ちなみに、難解な要素はゼロ。

とにかく、ただただ”私(梅崎春生本人と思われる)”と飼い猫カロ、犬のエス、4種類の蟻、蟻を食べにやってくるどっかの鶏オートバイ、常に厄介ごとを運んでくる画伯の秋山。これらキャラクターの織り成す、純文学なんだかエンタメなんだかよくわからない、きわめてドリフ的というか、吉本新喜劇というか、とにかく「なんだこの小説?」という驚きにあふれています。

ちなみに、眼鏡堂書店は初読の際に大変な衝撃を受け、「世の中にはこんな小説があるのか……」とただただ感心したのでした。

そのくらい(いろいろな意味で)驚きに満ち溢れた作品です。

この作品が知られないというのはもはや、犯罪といってもよいのかもしれません。いや、少し言いすぎました。もうちょっと知られてもいいと思います。

 

「梅崎先生はもっと仕事をした方がいい」by吉行淳之介

中でも白眉となるのが、中段にある蟻と私のくだり。

蟻の巣に水を流し込む、という(残酷な)遊びは誰しもが?やったことがあると思いますが、梅崎先生ともなると一味違います。

蟻の巣にストローでたばこの煙を吹きこんだり、庭の砂をフルイで漉し、細かくなった砂を巣に流し込むという遊びを開発しました。砂を流し込んでそれが復旧するまでに2時間を要するらしく、逆に考えれば、2時間も梅崎先生は慌てふためく蟻を見ていたことになります。

なお、この砂攻撃を間断なく続けるという行動を、梅崎先生は2日間にわたって行っています。もはやこれは狂人です(笑)

とはいいつつ、蟻の社会性についてのくだりは結構知的なことが書いてあるのが、余計にこのバカ行動とのコントラストを鮮やかにしてくれます。

ただ、とにかくこの梅崎先生と相方(?)の秋山とのドタバタが、もはやコントの領域。とにかくバカバカしいだけでなく、中途半端に常識人なのでそのずれっぷりに当の本人が気づいていないというのが、余計に面白い。

『猫と蟻と犬』は小説なので、まさか私小説という体裁であっても、100%現実のものではないとは思うのですが、「こういう人っていそう」と思わせる筆致の冴えが、1周回っていい意味で不必要な力の入り具合のように見えてきて、その生真面目さが余計に面白く感じられました。

とにかく、バカバカしすぎて、まじめすぎて、余計に面白い。

特に、梅崎先生と秋山が真っ正直にまじめなだけに。

ちなみに、『ボロ家の春秋』もこの路線にある、というかむしろ原点的な作品です。あのドタバタコメディ小説が直木賞を受賞するという、当時の選考委員の懐の深さというか、冗談がわかる感が素敵です。

たしか、眼鏡堂書店の読書会と山形読書会でチラリと紹介したような気がします。

 

「昔は今よりもっとすぐれた作品がたくさんあったんだ」などと偉ぶる年長の方もいらっしゃるようですが、50年前のこれほどふざけた(笑)小説と出会えたのは実に大きな収穫です。

 

最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。