眼鏡堂書店

山形県東根市を中心に、一冊の本をみんなで読む課題図書形式の読書会を開催しています。 また、眼鏡堂店主による”もっと読まれてもよい本”をブログにて紹介しています。

【眼鏡堂書店の本棚】『檀流クッキング』檀一雄

眼鏡堂書店の蔵書より、独断と偏見に塗れた”もっと読まれてもいい本”を紹介しつつ、全力でニッチな方向へとダッシュする【眼鏡堂書店の本棚】。

今回紹介するのは、眼鏡堂書店の心の一冊、檀一雄の『檀流クッキング』です。

檀流クッキング/檀一雄

著者の檀一雄は1912年、山梨生まれ。『真説石川五右衛門』『長恨歌』で直木賞を、『火宅の人』で死後に読売文学賞を受賞しています。『火宅の人』(のち映画化)、律子夫人の没後に描いた『リツ子 その愛』『リツ子 その死』が代表作として知られています。また、太宰治坂口安吾織田作之助といった無頼派作家のひとりに数えられ、太宰の『走れメロス』のモデルとなったことが、一部の文学好きの中では有名です。

そんな檀一雄の作品の中で、多分、最も手に取りやすく、眼鏡堂書店が愛してやまない料理エッセイが、今回紹介する『檀流クッキング』です。

 

手早く、簡単で、素朴なもののおいしさを学ぶこと

『檀流クッキング』は、昭和44年から産経新聞紙上に連載されていた料理エッセイを単行本化したものです。和食に洋食、中華にロシア料理やスペイン料理などなど、まさに和洋折衷。文壇随一の名コックぶりがうかがえます。

眼鏡堂書店が所蔵している文庫は、中央公論社刊で昭和59年4月30日の15版。昭和50年11月10日が初版であるのを考えると、思いのほかゆっくりした売れゆきのようです。

とはいえ、本書の人気は非常に高く、晩年に担当編集者となった嵐山光三郎は、収録されているすべてのメニューを作るほど入れ込んだとか。

収録されているレシピは、カツオのたたきからはじまりビーフシチューまで、92種類もあります。初出が昭和44年ということもあり、若干の時代のずれというものを感じないこともありません。例えば、収録されいる麻婆豆腐は、

今日は一つ変わった豆腐の料理をやってみよう。

という一文で始まります。当時はまだ、麻婆豆腐がメジャーな料理ではなかったらしいということがここからうかがえます。

遠いものが近くなったものがあれば、その逆もまた。

例えば、一連のモツ料理。作中では肉屋でモツや腎臓の類を買ってきて調理するわけですが、今現在ではなかなか購入できない食材があるのも事実。

その辺が、世の中の移ろいとして読み取れます。

 

さて、『檀流クッキング』の一番の特徴は、なんといっても調味料の分量表記がないこと。味は分量ではなく自分の舌で決める、という檀一雄の姿勢が見て取れます。同時に、この本にあふれているのは、作る楽しみと食べる楽しみ。

だからこそ、豊富な料理のバリエーションがあるのでしょう。

手早く、簡単で、素朴なもののおいしさを学ぶことを心がけたい、という檀のモットーが本書には通底しているわけですが、これがいわゆる料理本と決定的に異なるところ。

”質の高い生活”を標榜する本では便利さよりも手仕事の重要性を主張するところでしょうが、『檀流クッキング』では便利さを否定しません。そこにある料理がいわゆる家庭料理の枠に収まるものが大半なので、家庭用漬物器や(多分取り回しのいい調理器具として)中華鍋がバンバン登場します。日持ちする常備菜が結構な割合で登場するのもの、料理の立ち位置が家庭料理にあるからでしょう。

とにかく、便利なものは大いに活用し、自己流に大いに調理研究して、手早く簡単に、そして楽しく作っておいしく食べる。それが『檀流クッキング』です。

この、便利さを否定しないスタンスは、

もし、今日のスーパーマーケット風の店でもあったら、私は、最も早く、インスタント食品信奉の徒になったろう。

という冒頭に現れています。にもかかわらず、作中にインスタント食品が登場しないのは、単純に家庭料理に組み込むにはそれらが当時まだ高価であったこと、広く流通していなかったこと、そしてまだ味が満足いくものではなかったこと、などがあるのではと思いました。

また、調理器具等の代用は当たり前のこと。

柳川鍋を作るときはなるべく土鍋が欲しいが、無かったらスキヤキ鍋ででも代用して、何としても作ってみるのが一番大切だ。

土鍋とスキヤキ鍋ではずいぶん違う気もしますが、”何としても作ってみるのが一番大切だ。”という個所が、個人的にツボに入ります。「絶対旨いから!」という言葉が聞こえてくるようです。

かと思えば、簡易時短ばかりを目指すのではなく、

年に一度の具入り肉チマキだ。そのくらいの奮闘をしていただきたいものである。

一生に一度ぐらい、手間ヒマをかけ放題、日曜料理に「東坡肉」をつくってみてご覧なさいと、いってみたい。

とあるように、ハレの日に特別な料理をじっくり仕込むことも推奨する。

この辺のバランス感覚が大変面白いです。手を抜くべきとろは簡単に、外せないところはしっかりこだわる。そのあたりの家庭料理のコツみたいなものが、平易で温かい文章の中に見え隠れしています。

眼鏡堂書店が今回再読してみて面白く感じられたのが、檀一雄の梅干しの漬け方について。

梅干し名人に習うのではなく、檀のいうことだけを聞け!というのが出てくるのですが、その理由。「名人は素材の味を生かすために塩加減をギリギリにする。そんなギリギリのコーナリングを素人が真似すると大事故を起こすから、まず檀流の安全運転をマスターしてから、そういう名人の真似をするように」という、要は基礎を身に着けてから、や、いきなり大失敗で料理が嫌いにならないでほしい、ということだろうと思われて、本当にこの人は料理が好きなんだな、と思いました。

それを象徴するのが、この文章。

「ウチの坊ちゃん、嬢ちゃん達よ。チチは小さい時に、自分で大正コロッケというものを、つくって食べていたんだぞ。今日、そのつくり方を教えてあげるから、これから、自分達で、作ることを覚えなさい」

 

家庭の味は”誰が”作るのか?

その一方で、結構トゲのあるところも。

例えば、料理の素材への偏見や先入観についての個所。

偏見や先入観は、たいていその母が、知らず知らずにその子供たちにうえこんでしまっているものである。

他にも、家庭の主婦へのトゲのある(もっとも、辛辣、という類ではないが)、文章がちらほらと見受けられます。まあ当時としては、家庭は主婦が預かるもの、という図式だったろうし、そうなれば料理エッセイの読者は女性ということになろうかと思います。今日の視点から見るとフェミニズム的ななんちゃらで批判を浴びるかもしれませんが、それは当時の社会状況をある程度踏まえてみるほかないでしょう。なんでもかんでも現在の倫理観や常識で割っていいものではないでしょうから。

家庭というものへの固執と反発。それは檀一雄の精神性にかかわる重要な問題で、『檀流クッキング』が一種異様なまでに家庭料理にこだわるのか?

まえがきの中にこうあります。

そもそも、私が料理などというものをやらなくてはならないハメに至ったのは、私が九歳の時に、母が家出をしてしまったからである。

檀の父は田舎の教師で、その教え子と母が駆け落ち。職業上の体面その他から彼はこの事実を隠すために女中を呼んだりすることなく、日々の食事は仕出し屋の弁当で済ませたとか。それは家族も同様で、さすがに小学校に上がる前の子供を含めた子供たちが仕出し弁当で日々をしのげるかというとそれは別の問題。

そこで必要性にかられる意味で檀は料理を覚えたそう。

このへんは今回再読してみて、いわゆるヤングケアラー的なものを感じたりも。

おふくろの味が不在のなかでも、いや、むしろ不在だったからこそ、こうして檀一雄という人間が形作られたのかもしれません。とはいえ、必要にかられた料理も彼に言わせると、

「この地上で、私は買い出しほど、好きな仕事はない」

同じ無頼派の中でも、太宰治坂口安吾と違い、彼はどちらかというと労働者階級。

ブルジョワの太宰や安吾に比べて、割と常識人に思えるのはもしかしたら、この料理という点なのかもしれません。かつて安吾は作品の中で、「檀君が料理をするのは、あれで発狂を防いでるようなものだから」などということを書いていました。

金持ちの息子である太宰や安吾以上に荒れに荒れてもいいにもかかわらず、檀一雄という作家に人間味や温かさが見えるのは、彼が家庭喪失者で、それを埋めるための包容力を知らず知らずのうちに育んでいたから、なのかもしれません。

正直、檀一雄作品はコレしか読んだことがなく、小説作品にはなかなか手が伸びなかったのですが、これを機にちょっと読んでみたい気がしてきました。

まあ、かつて『火宅の人』を持っていたのですが、散々積ん読したあげく、全く読まずに手放してしまったこともあったりしたのですが。困ったものですね(棒読み)

 

最後に、内容の感想やリクエスト、記事を見て本を読みました、読み返しましたなどありましたらコメント欄に書き込んでいただけるとありがたいです。あと、もし気に入っていただけたなら、読者になっていただいたり、拡散してもらえると喜びます。以上、眼鏡堂書店でした。